復讐者は雄(アルファ)に戻れない(試し読み版)
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「獣になればいいだろう。そうすれば俺だってお前を見下せる……!」
「あなた様も獣であるべきだ――――そう願う私を、また蔑むのでしょう、あなた様は」
忠犬獣人従者(α)が事故でΩ堕ちした復讐者(元α)を雌にするお話。
・αのΩ堕ち
・愛のあるわからせエロ
・戦闘描写あり
長編版同人誌をKindleにて発売中です
「あなた様も獣であるべきだ――――そう願う私を、また蔑むのでしょう、あなた様は」
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1
甘い匂いが肺を侵蝕する。匂い自体はかすかなのに、へばりつくようだ。
(なんだ……?)
アルファは狼狽えた。
その直後、疼きと渇きがダリルの内側を走った。
何が起きているのか、ダリルは理解できなかった。ただ身体が一から作り替わっていくような、本能的な恐ろしさが襲う。
この夜を境に、もう二度と元には戻れないのだと、直感が彼に告げている。
「は……ぁ、は……っ」
ダリルの呼吸がしだいに早く、浅く変わっていく。身体が震える。
(うそだろう)
冷たいものが心臓を掴んだ。
生々しく動物的な、雄の下腹に響く香り。それはほかでもない、自分の首筋から放たれている。
(そんな、はずは)
彼の身体は間違えようもなく、アルファに媚びるオメガの――――雌の匂いをしていた。
(フリオンがダリル様を裏切った)
ルカスは夢中で走っていた。肩からは血がだらだらと流れている。
(援軍なんていなかった)
低く呻きながら、獣人は矢をむしって捨てた。矢じりが少し肌に残っているがかまいはしない。
(よりにもよって、マクウィンに……ダリル様の父君を殺した男に寝返るとは)
ルカスは身震いする。
怒りのあまり、もう傷口の痛みすら感じない。
(こんな状況でなければ、フリオンを殺してやるのに)
理性的に考えるにはもう、脳に血が足りていない。
いちばん近い敵を力任せに引きよせる。頸動脈に咬みつく。
「ひっ」
背後にいた敵兵たちは足を止め、たじろいでいる。
(そうだ。ダリル様にはもう私しか……)
その気づきは甘美だった。
復讐というダリルの悲願を叶えるのは、ほかの誰でもないルカスだ。
音を立てて敵兵の骨が折れるのを、ルカスはうっとりと聞いた。
ダリルの首筋を咬む幻影が目の前をよぎる。栗色の髪、自分より小柄な体格。愛する男の姿を思い浮かべ、ぞくぞくとした興奮が獣人の背を駆け抜ける。
敵兵の腕がだらりと下がった。死んだ男を無造作に捨て、ルカスは転がるように走った。
「に、逃がすな、追え!」
追手が背後に迫る。
銀の髪を広げ、ルカスは短く詠唱を行う。身体を回転させ、手の届く範囲にいる者を一気に吹き飛ばす。
体力的に、これが最後のチャンスだった。
どんと城塞都市の防御壁に手をついた。残った力を振り絞る。
(ダリル様……!)
「ああああああ!」
ルカスは咆哮した。壁に亀裂が走る。
がらがらと音を立てて、石組の壁が崩れ落ちた。粉塵の向こうに、山につながる真っ暗な林が広がる。
木立に身を隠しながら山奥に入っていく。川を頼りにしばらく上ったところで、ルカスはうしろを振り向いた。もう誰もこない。
安堵が広がると身体に限界が来た。痛みで目がくらむ。
ルカスはどさりと木の幹にもたれた。重い身体が地面に落ちていく。意識が暗転する。
どれほど時間が経っただろう。ルカスはゆっくりと目を開いた。空が白んでいる。
蹄と車輪の音がする。視界が小刻みに揺れている。ルカスははっとして身体を起こした。
ルカスは荷車の上に載せられていた。
何が起きている。ルカスは混乱しながら、かばうように傷に手を当てた。
(傷口が閉じている……?)
「あんたを持って帰らないとダリルの旦那に怒られるんでね」
フリオンの声だった。赤髪の獣人は馬を操って台車に近づき、ルカスに話しかけてくる。
ルカスは混乱した。敵と共謀していたはずのフリオンが自分を治した?
「旦那に見切りをつけようかとも思ったんですが、マクウィン卿はてんで交渉相手にならない。まだ今はそのときじゃないようだ」
傷の痛みも忘れるほど、ルカスの怒りが急激に戻ってくる。
「裏切り者、が」
フリオンは呆れたように笑った。
「もう少し口に気を付けなさいな。私が気まぐれで助けてあげたからあんたは生きてるだけだ。あそこで犬死させて、死体を連れて帰ってもよかったんですよ、私としてはね」
軽薄な声が、ルカスをさらに苛立たせる。ルカスが睨むと、フリオンは笑った。
「おお、こわい。しかし見事な戦いぶりでしたな、少しは見直しましたよ? どんなに人間ぶっていても、あんたは立派に獣だ。私なんかよりずっと野蛮な獣」
自分がしたことの恐ろしさを思い出して、ルカスは凍り付いた。
この牙で敵の首をへし折った。そのときのルカスは、愉悦さえ覚えていた。
ルカスはあわてて口元をぬぐう。おそるおそる手を開いてみたが、血痕はなかった。
「拭いて差し上げましたよ。あんたの本性を知ったら、ダリルの旦那が驚いてしまうでしょう?」
フリオンは血のついた布切れを取り出し、ひらひらと振って見せた。
「私にはわかります。いざとなったらあんたはダリルの旦那を食う。あの獰猛さで襲われたら、さしもの旦那も雌になるほかないでしょうよ」
「私が、そんなことをするはずが……!」
瞬間的に否定しながらも、洞窟での事件がルカスの頭をよぎってしまう。
あんな極限状態にふたたび置かれたとして、ほんとうに自分はダリルに歯向かわないと断言できるのか?
フリオンはルカスの心を読むように顔を覗き込んだ。あきらかに面白がっている。
「ない? まあ、そういうことにしておきましょう、今はね」
いつの間にダリルへの恋心を見透かされていたんだろう。
干上がった喉で、ルカスは唸った。
「私のことはどうでもいい。貴様の裏切りはダリル様に報告させてもらう」
脅されてもフリオンはへらへらしている。
「どうぞ? あのお人が正気なら、マクウィンと天秤にかけられたぐらいで、私のような優秀な人材を処分することはないでしょう。結果としてマクウィンを見限り、あんたを生かして連れ帰ってきたんだから、文句はないはずです」
ルカスは言葉に詰まった。たしかに結果主義のダリルなら、そう考えるかもしれない。
「もしそれで私を冷遇するようなら、旦那の底の浅さが知れるというもの。私、沈む船には長居をしない主義なんですよ」
自分が敬愛する男を軽々しく扱うフリオンを、ルカスは憎んだ。
どうしてこんな男に私は能力で劣るのだろう。ルカスは自分をも憎んだ。
「よく口の回る」
「それで立ち回ってきたものでね」
「手当については礼を言っておく。だが私は決して貴様を信用しない」
「それはご賢明なことで」
ダリルの居城についたのは昼過ぎだった。応接間に入ると、ルカスは困惑した。
(オメガの匂い……)
匂いは残り香のように薄かったが、ルカスの鼻は鋭い。
どうしてダリルの居城からオメガの匂いがするのだろう。ここは戦地の城で、オメガの訪問者などめったにいないのに。純情な獣人は困惑する。
午後の陽が斜めに差す向こうで、ダリルは椅子に深く座り込んでいる。
いつになくぼんやりした顔の彼は、ルカスを見るとさっと視線を逸らした。
戸惑いながら、ルカスはいそいでダリルの前で跪いた。フリオンはいつものように悠然と立っている。
「ご命令どおり、ルカス殿を連れ帰ってまりりました」
まるで手柄のように言う小柄な獣人を、ルカスは憤然と遮った。
「この男を信じてはなりません。この男は一度マクウィンに寝返り、私を捕縛しようと」
「有利にことを運ぶために交渉しようとしただけですよ。ルカス殿の身柄を使ってね。もちろん本気で裏切るつもりなんてありませんでした」
「貴様」
「言いあうのはその辺にしてくれ」
ダリルは疲れたため息をついた。ダリルの機嫌を損ねたのではないかと不安に駆られ、ルカスは口をつぐんだ。
「獣人など、あいつが対等に扱うものか。見誤ったなフリオン」
フリオンの笑顔がひきつる。
「もう十分だ。お前からは小隊の指揮権を剥奪する」
「ちょっと待ってくださいよ。馬鹿げている」
「自分の能力を鼻にかけているようだが」
ダリルは冷たく言った。
「お前は今回、自分の戦略のなさを広めて回ったんだ。マクウィンにこちらを攻撃する口実を与え、国王陛下のもっとも恐れる内紛を引き起こそうとした。投獄されないだけ感謝してもらおうか」
うっとりとして、ルカスはダリルの裁定を聞いていた。
(やはりダリル様は何もかも正しい)
「何より蜂起の誘発により獣人の信用を落とした。わが領内でも獣人への差別は強まっている。落とし前をつけないと人族が納得しないだろう」
フリオンはふんと暗く笑った。
「ダリルの旦那は結局私たち獣人を対等だなんて最初から思っちゃいなかったんだ。まあ、知っていましたがね」
「お前の生まれは関係ない。俺は無能な者に厳しいだけだ。わかったら行け」
ダリルはルカスの方をちらりと見た。
「ルカスもご苦労だった。……無事でよかった」
つぶやくような言葉がルカスの胸をざわつかせる。
文字にすればいつものねぎらいと何も変わらないはずなのに、その言葉にはどこか心細そうな、思わず漏れ出たような雰囲気があった。
(何かあったのだろうか)
かすかなオメガの匂いが一瞬、濃くなった気がした。アルファを求める儚く切ない匂いが陽射しの熱で揮発して、ぬるく呼吸器にしみ込んでいく。ルカスはそっと唾を飲んだ。
娼館の前で感じるあからさまに性的な香りとは違う、控え目な匂いだ。ルカスの精神力なら、無視しようと思えばできたはずだった。
だがルカスはどうしても下腹部に熱が集まるのを止められない。
その匂いが、ダリルの肉体から放たれている気がしてならなかった。
(馬鹿な。そんなこと、あるはずが)
アルファがオメガの匂いを放つなど、聞いたこともない。
だがすべての理屈を無視して、アルファの本能がダリルを襲えと囁いている。
あれはお前のものだ。アルファのお前には、あれを食う権利がある。
ルカスは必死に聞こえないふりをしている。
フリオンが言うとおりだ、とルカスは苦しく思う。自分はほんとうは獣だ。ダリルを傷つけたくないという理性の下には、身勝手で乱暴な欲がいつも渦巻いていて、暴発の機会を狙っている。
ルカスはフリオンがそばにいることに初めて感謝した。ダリルとふたりきりならば、自分は何をしていたかわからない。
「もう下がってかまわない。少し休ませろ」
気だるい声でダリルは言った。
「どこかお悪いのですか」
「疲れただけだ」
横でやりとりをじっと聞いていたフリオンは、やがてわざとらしく空気を嗅いだ。
「おや? 気のせいですかな。この部屋はどうも匂う」
ダリルは警戒したような瞳でフリオンを見た。
「なんの匂いでしょう、甘くてどこか切ない……ああ、なるほど。私はベータですから気づくまでに少し時間がかかりましたが、間違いない。これはオメガの匂いだ」
「何が言いたい」
フリオンはにやっと笑った。
「いやあ、ダリルの旦那も隅におけませんな。ルカス殿が瀕死の間、ご自分はオメガを城に引き入れてお楽しみだったとは」
ルカスははっとしてダリルを見つめた。
(そんな)
金環で性欲を制御するほどオメガを嫌っていたダリル様にかぎって、まさか。
「馬鹿を言うな。この私がそんなことをするとでも」
「ならこの雌の匂いはなんです?」
ダリルは一瞬言葉に詰まった。迷うように瞳が揺れる。
「……私が何をしていようが、お前には関係ない」
ダリルは吐き捨てるように言った。
ルカスは呆然とした。顔から血の気が引いていく。唇が震える。
(そんな……まさか、そんな)
嫉妬心がぐるぐると育っていく。オメガの香りで弱った理性を横に押しのけて、黒い感情が溢れだす。
フリオンはルカスの方をちらっと見た。勝ち誇ったような顔だ。
「では私はこれで。お休みのお邪魔してはいけませんからな。召使たちは人払いしておきましょう。ではルカス殿、ダリルの旦那をどうぞよろしく」
「待て、フリオン」
珍しく平常心を失ったダリルが声を張り上げた。まるで聞こえていないかのように、フリオンは一礼して部屋をあとにした。
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