きみの記憶に囚われて 断章①




断章 記憶



ぼくの音はどれだけ効いただろうか。うんと効いているといい。

(いつかの君がぼくに与えたのと同じだけ)

安野は卒業証書を手に学校をあとにした。振り返ることはなかった。
明るいくせに泣き虫の後輩は、卒業式でも目を真っ赤に腫らしていた。絶対追いかけます、としゃくりあげる様子はまだまだ子どもだった。
彼がピアノに囚われていくのを見るのは少し不憫だった。
別に同じ舞台に立つ必要はない、と安野は思っていた。そのままただの聞き手として、ぼくだけに魅入られていればいい。
距離が開けば開くほど、きっと君はぼくを崇拝するしかなくなる。あの日のぼくみたいに。

(だが、追いかけてくるならそれはそれでかまわない)

ぼくの音が本物に近づいている証だ。
安野の頭に、呪いのようにピアノの音が響いた。安野は曇り空の下で目を閉じた。
弾いているのは大人の大樹だった。
記憶の中で、青年は現代からみるとひどく時代遅れのチェックのスーツに身を包んで、鍵盤に指を沈めている。小柄な体、ぼさぼさの頭は今の大樹と変わらない。
安野の身体に焦げるような熱が走る。
あれがほしい。精神的にも肉体的にも。
前世から今までずっと。


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