続・愛しの距離ナシ君(終)




九 恋人たち



 うつらうつらしているうちに、朝は巡ってくる。
 目を覚ました俺は、杉沢がちゃんと俺に抱きついたままだということに気づいた。脚も腕も、まるで廃墟となった家を絡めとる蔦のように複雑に入り組んでいる。これでは起き上がれない。
 そして、聞こえてくるのは紛れもなく杉沢の寝息だ。

(……重い)

 いとおしさでいっぱいになって、俺は思わずにやけた。
 昨夜はアラームをかけるのを忘れていたらしかった。ぎりぎり届く範囲に充電されていたスマートフォンに手を伸ばし、時間を確かめる。
杉沢を起こしたくはないのは山々だが、もうそろそろ目覚めた方がいい時間だ。

「杉沢?」

 遠慮がちに声をかけたものの、むうという返事があったのみであった。

「おーい杉沢……起きろ杉沢……遅れるぞ杉沢」

 だんだん音量の大きくなっていく目覚ましそっくりに俺は騒いだ。
 杉沢は途中から狸寝入りだったらしく、噴き出した。

「やだ。起きたくねー。俺永遠にこうがいい」
「杉沢」

 どこまで本気かわからなくて、俺は恐怖に引き攣った声を出した。

「わかってる、起きるって。心配させちゃ悪いもんね」

 杉沢はちゅっと俺の額にキスをして、伸びをした。そのまま寝返りをうってねじれている。猫か。
 俺は杉沢を置いてインスタントコーヒーを溶きに台所へ行った。

(杉沢が平常運転だ……)

 マグカップの中身をかき混ぜているとき、急にうっと涙が込み上げた。
 このまま順調に不眠が治る保証はない。杉沢のお母さんが亡くなったときも、一時的に不眠が治っていただろう。ぬか喜びするな、俺。
 そう言い聞かせても、ほっとした気持ちはどうしようもなかった。
 杉沢と出会って、顔から汁が出やすくなったのはどうしてだろう。どんなにつらくても昔はこんなに泣かなかったのに。幸せに慣れて贅沢になったんだろうか。
 俺は杉沢に聞こえないように、汚い泣き声を殺した。
 顔を拭って、目が腫れていないかスマートフォンで確認する。若干赤い気もするが、もともとがこの大きさである。きっと気づかないだろう。
 まだ寝ぼけている杉沢に、濃くてどろどろのコーヒーを持っていく。

「ありがと……にっが」

 口をつけた杉沢が苦笑している。

「よーくんのは?……にっが、俺のより苦いじゃん」

 首を伸ばし、俺の方を飲んだ杉沢はまた笑った。

「すまん、久々だから加減忘れたかも」
「いいよー、よく効くもんね。ふう……あれ、もしかしてよーくん泣いてた?」

 杉沢は俺の顔を覗きこんだ。しまった、バレた。

「やっぱちょっと濡れてんじゃん。どうしたの、なんかあったとか」

 杉沢は俺の目を拭っている。

「や、杉沢が寝られたのがなんかうれしくて……」

 大の男がそんなことで泣くなんて。俺は小さくなって答えた。
 杉沢はきょとんとしてから、いつものへらっとした笑顔を浮かべた。

「ありがと。よーくんのおかげ」

 コーヒー味のキスを落とされたものだから、俺はますます小さくなった。
 大学の門をふたりで通りぬけると、葉の落ちた木の向こうに団藤を見つけた。

「おはよー」

 杉沢が手を振っている。団藤は頷いた。

「おふくろさんの葬式、行けなくてごめんな」

 団藤は声を落としてぼそりとつぶやいた。団藤のことも呼んではいたらしい。
 団藤は高校時代からの親友だし、杉沢のお母さんとは入院する前から面識があるので当然だ。俺は自分に言い聞かせる。
 こんなことで心配していてどうする。もっと杉沢と団藤を信じないと。

「ううん。よーくんが来てくれたし大丈夫」

 杉沢の言葉でほんの少し嫉妬がやわらいだのに気づく。なんて器の小さい男だろう。

「駿は冬休みどうすんの」
「まあ、一応あいつの試験勉強に付き合う約束してる」

 歯切れ悪く言って、団藤は頬を掻いた。

「どうしたんだ、団藤」

 その仕草が何か言いたげに見えて、俺は恐る恐る訊いた。

「……いや。だから朔のことはお前がしっかり背負え。それだけだ」

 団藤は疲れた顔で目を覆った。

「なあ、どうやったらあいつに信じてもらえると思う? 全然俺の言葉通じねえ」

 団藤は覆った目をこすっている。困り果てた声だった。

「えっ」
「すげえ悲壮感漂う顔してさ、杉沢先輩を優先させてくださいって言うんだよあいつ。試験前なんだから自分の心配してろって何回も何回も言ってんのに」

 同情して聞いていたが、しだいにすうっと背筋が冷える。
 あ、これ俺のせいだ。俺が妙なアドバイスをしたばっかりに。

「もういっそ次に進んじゃったらよくね?」

 杉沢の提案に、団藤は呆れた溜息をついた。

「こんな半端な状態で進めるわけねえだろ。拗れるだけだ」
「じゃあさ、モノで誠意見せるとか。明日もうクリスマスイブでしょ。俺もよーくんとペアのアクセサリー買ったよ。早くできねーかな」
「こっちだって俺なりに用意はしたけどさ。そんなんで納得してくれそうにねえから困ってんだって……時間が解決してくれるといいんだけどな」

 団藤はそう言い残してB棟へと歩いていく。

「困ったねー。俺のせいだ」

 杉沢は俺の肩に顔を埋めた。

「別に杉沢は何もしてねえ。心配しなくていいよ」

 あとで田中君に話を聞こう。俺は心に決めた。
 また余計なことを言って話を拗れさせてしまったらという恐れもある。だが何もしないわけにはいかない。


 空きコマも昼休みも杉沢がぴったりとくっついている。俺は田中君に連絡するタイミングを失っていた。

(別に隠すことじゃねえか……)

 田中君の気持ちを考えると、本当は杉沢の見えるところでする話ではないのかもしれない。
 だが俺は杉沢の恋人だ。杉沢の気持ちをいちばんにしても許される……はずだ。違ったらごめん。

「んー、何してんの?」

 杉沢はうしろから抱きつきながら俺のスマホを覗き込んでくる。
 ラウンジの近いところにいた知らない連中がちらりとこちらを見て、目を合わせないように視線を逸らすのが見える。杉沢は熊か。

「えっと、ちょっと田中君に……」

 といって、田中君にどんな言葉を送ればいいかわからない。さすがコミュ障である。

『ごめんなさい 俺が変なこと言って余計に心配させました 田中君は団藤を信じてあげてください それが団藤のためみたいです』

 とりあえずそう送った。

「変なこと?」
「えっと、ちょっと……」

 俺は言葉を濁した。杉沢の指が俺の頬を
突く。

「隠し事?」
 俺はうなだれた。たしかにそれはよくないかもしれない。

「……田中君、団藤の二番目になるのが怖いって相談してきて」
「それで?」
「俺が杉沢の二番目なのが怖くねえのか聞いてくるから」
「二番目なわけなくない?」

 頬のうえで人差し指がくるくると回る。

「……最悪杉沢が幸せだったら俺はなんでもいいって答えた」
「こら」

 杉沢が人差し指をグーに変えた。痛くはない。

「そんな簡単に諦めんなー。ねー、よーくんにとって俺ってそんなもんなの?」
「いや、俺はもともと杉沢に不釣り合いだから……杉沢が治って俺のことどうでもよくなったらって話で」
「治るって?」
「不眠とか依存とか」
「治ってもどうでもよくなんねーから。絶対」

 絶対なんてものはこの世にはないのに、杉沢は簡単に言いきってしまう。俺はあいまいに笑った。
 杉沢は拳を解いて俺を撫でた。

「忘れないで。俺のいちばんはよーくんだから。もうあんな悲しいこと言わないで」
「う、うん」

 癖毛のボリュームで顔を隠そうと、俺は俯いた。人前でそんな宣言をされて照れくさくてならないのに、同時に限りなく幸福だった。 

「ね、俺のいちばんがよーくんじゃなくなったら、嫌?」

 杉沢は小さな声で訊いてくる。

「うん」
「よかった」 

 杉沢以外の世界がどうでもよくなる。
 帰りの電車でスマートフォンを見ると、田中君から返事が届いていた。

『ほんとは先輩のこと信じたいです すごく』

(そうだよな。信じたいよな、わかる)

 俺は深く頷いた。魂の双子だろうか。いや、田中君に失礼か。田中君にはちゃんと目も鼻も口も可愛らしくついている。
 人を好きになるには、どこまでも無防備になる勇気が要るのかもしれない。

『なら大丈夫です あんなこと言ったけど俺も杉沢を信じてます』 

 送信して、ふいに手を掴まれる。

「うれし」

 隣で杉沢がにっと笑っている。
 明々後日には片づけられてしまうクリスマス飾りの中を、俺は杉沢と歩いていく。

「明日どっかでデートしよっか。よーくんが寒いならおうちデートでもいいよ。チキン買おうチキン。でっけーの」
「うん……あ、あのさ」

 杉沢が振り返る。

「よく考えたら元日は休みだったから、その、約束だったし海行けたらなって思うんだけど……お店どこも開いてないだろうし、ほんと海行くだけになっちゃうから、その……どうする?」

 俺は杉沢の顔を伺った。

「え、行きたい。ついでにどっかで初詣しよ、クソ混んでるだろうけど。やった、楽しみ」

 杉沢は俺の手をポンプのように上下させている。それから急に顔を曇らせた。

「あっ、でもよーくん帰省しないで大丈夫?」 
「えっと、年末はシフトぎっちり入っちゃってて……あと母さんの再婚相手の家に帰っても……いや、杉沢が帰るなら別だけど」 

 俺は口ごもった。

「よーくんに無理させてない?」
「平気……」

 年末営業は戦場よと忠告する先輩の声がちらついたが、聞かなかったことにした。

「ならさ、あのペンギンまた連れてかなきゃ。ペンギンの帰省」
「うん」

 杉沢とつないでいない方の手をコートのポケットに入れて、俯いて歩く。
 きっと今の俺はひどいにやけ面をしている。


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