続・愛しの距離ナシ君







壊れたよーくんと俺とで、ふたりきりの楽園で暮らせたらどんなに幸せだろう

母親の死で不安定になった距離ナシ美形が、自己肯定感のますます低くなった天然パーマ陰キャと永遠を探すお話です。
『愛しの距離ナシ君』続編。
Kindle同人誌にしました。




一 針山とペンギン



 ああ、周囲の白い目が突き刺さる。
 学食のラーメンをすすりながら、俺はぶすぶすに針を立てられた針山に思いをはせた。そろそろ志麻陽介(しまようすけ)から針山陽介に改名した方がいいかもしれない。
 十八年間空気として暮らしてきた俺がこんなに目立つようになってしまったのは半分が父のせい、そしてもう半分が――

「よーくん」

現在もこちらにぴったりと身体を寄せているこの男、杉沢朔(すぎさわさく)のせいである。
 父親に首を絞められて死にかけている我が姿がインターネット上に出回ってしまい、一躍時の人となってしまったのが一か月前のこと。
 そして杉沢朔の彼氏という、もうひとつの悪目立ち属性を手に入れたのも同じく一か月前のことである。
 初恋が叶って有頂天になった俺はすっかり忘れていた。
 杉沢が女子に大変人気だということを。

(百歩譲って男と付き合うにしても、なんであのガリガリ天パなんかと)
(顔なんてギリのっぺらぼう回避したぐらいしかパーツついてないのに)
(シンプルに存在が無理)

 もともと自尊心が限りなくゼロに近い俺は、すべての視線を瞬時に悪態として翻訳する特殊能力を持つ。
 針先そっくりの視線の鋭さからいって、もっとひどいことを考えている可能性すらある。女の子、こわい。

「その距離じゃ汁、散るって」

 俺はなるべく杉沢を傷つけない理由をなんとか思いついた。やはり人前、あまりこれ見よがしに密着して世間様をお騒がせするのもよくない。

「俺のこと嫌いになっちゃった?」

 薄い手のひらが俺のひどい癖毛を弄んでいる。俺の大好きな手のひらだ。

「なってねえ、けど」
「ならいいじゃん」

 こうやってすかさず甘ったるい「嫌いになった?」が飛んでくるから、俺はけっして杉沢の密着を拒否できない。
 そして本音の本音では拒否したくない。
 女子たち、ごめん。見せつけたいわけじゃねえんだ。一応止めたし、許して。
 申し訳ない気持ちで麺を持ち上げたが、その向こうで知らない男子たちが遠巻きに、俺と俺を撫でる杉沢を交互に見ているのが目に入る。

(うわぁ)
(うわぁ)
(うわぁ)

 脳内に勝手なアフレコ音声が木霊して、思わず逃げ出したくなる。

(杉沢のことが好きなんだから堂々としてねえといけねえのに)

 自分に言い聞かせたが、もうひとりの気弱な俺が遠心力で吹っ飛びそうなほど首を横に振っている。

「よーくん大人気だねー。みんな見てる。俺のだって主張しとこ」

 杉沢は面白くなさそうにつぶやいた。ちゅっという大げさな音とともに、俺の頬に薄くて柔らかい何かが当たる。
 女子たちから相当程度ネガティブに寄った悲鳴があがる(一割程度は好奇の悲鳴も混じっていたかもしれない)。
 男子たちもびくりと肩をすくめるのが見える。

「このぐらいサービスしてあげなきゃね。ん? もうちょっと?」
「結構です……」

 すでに杉沢とのエッチな記憶がよみがえりかけている。これ以上は勘弁してほしい。

「おっ、ふたりだけの世界」
「あんまり大学で盛り上がるなよー」
「うらやましくねえから見せつけるなよー」

 この場を和ませるためか、それとも完全に面白がっているだけか、杉沢の友人たちがやってきて茶化しては去っていく。

「えっと、多様性って大事だ、な」

 おばあちゃん子の通称たつのりちゃんが、なぜか申し訳なさそうな笑みを浮かべて去っていく。
 おばあちゃん子らしく恋愛観が保守的なので理解できない、だが差別するつもりもない、という気遣いなのだろう。
 俺までいたたまれなくなるのでやめてほしい。

「あ、駿(しゅん)、こっちこっち」

 別の席に座ろうとしていた親友を見つけ、杉沢が手を振っている。
 団藤(だんどう)駿はトレーを手に、ため息交じりに移動してくる。野次馬をぎろりとひと睨みして、向かいに座る。

「仲がいいのはいいけど、目立つことすんなよな。俺たちみたいな、ちょっと他人と違うやつらって陰でいろいろ言われやすいだろ」
「今のご時世、言う方が悪くね?」

 杉沢は器用にサンドイッチを食べきった。

「そうだけど」
「だって、どっかよーくんにくっついてないと不安でさ。離れたくねー、足の小指どうしでもいいから常に触ってたい」

 足の小指どころか全身のほとんどを俺にくっつけ、さらに肩に頭を載せてくる。

「普通に志麻が食いにくいだろ。今に始まった話じゃねえけど」
「さすがに慣れてきた……」

 俺はぼそっとつぶやいた。
 杉沢の不安には深海より暗い理由があるから、あまり逆らわないことにしている。

「あいつが入学してきたら俺たちもひそひそやられんのかな。あいつ耐えられるのかな」

 箸を割りながら、杉沢の親友はぼやいた。

「駿、いい彼氏だねー」
「まだ付き合ってねえけどな。あいつが受かったら、だ」
「さっさと付き合いなよ、田中(たなか)君、待ってるよ?」
「俺のせいで落ちたらどうすんだよ」
「そんな固いこと言っちゃって。もう付き合ってるも同然なんだし、よくね?」
「人聞きが悪い。まだ何もしてねえって」

 硬派な男はぶすっと口を尖らせた。

「ねー、今度の休み、みんなでどっか行く? 田中君も呼んでさ、たまには気分転換」
「今受験生を連れ出すのは不味いだろ。俺も行かねえ。その、俺だけ楽しんでたらあいつが可哀想っていうか」

 小声になった団藤はアジフライをかじった。

「そっか、ごめん。最近駿元気ねえし、息抜き足りてないんじゃねって思ったんだけどさ」

 杉沢は姿勢を直してつぶやいた。それでも杉沢の足先は俺のスニーカーにちょんと触れている。
 小指でもいい、という先ほどの宣言を実践しているらしい。

「田中君、勉強うまくいってない、とか?」

 俺は思わず訊いた。

「そういうんじゃねえんだ。……心配することはなんもねえよ」

 それにしては難しい顔をして、団藤は飯をかきこんだ。


 帰りの電車に揺られているときも、杉沢は俺の肩によりかかっている。
 車内暖房と杉沢の体温でかなり暖かい。

「寝てる?」
「起きてる。甘えてるだけ」

 杉沢は俺の手をおもちゃにし始めた。手のひらの上を杉沢の二本指が歩いていく。

「くすぐってえ」
「やめる?」

 周りの乗客が眉をひそめている。

「……いや、いいけど」

 つい杉沢の好きにさせてしまう。
 すみません、杉沢は付き合ってなくてもこういう距離感の男だったんですが、付き合ったおかげでさらにパワーアップしてしまいまして、その。
 俺は内心早口で言い訳を連ねている。

「……俺さ、駿が元気ない理由、知ってんだよねー」

 持ち主の悩みをごまかすように二本指がスキップしている。

「なんとかしてやりたいんだけど、俺にはどうしようもなくてさ」
「もしかして、田中君が不安になっちゃってるのか、その、杉沢のことで」

 俺はおそるおそる二度目の推理をした。一度目が大外れだったから自信はない。

「あたり」

 上の空といった様子で、人差し指がぐるぐると手のひらの真ん中を回る。本当にくすぐったいので勘弁してほしい。

「俺に振られたから付き合うことにしたって経緯が、ずっと引っかかっちゃってるっぽくて。まだ俺のことが好きで田中君のことはどうでもいいんじゃないかとか。難儀だねぇ」

 指が止まる。

「……この前こっそり打ち明けられて、そんなこと絶対ないって言ったんだけどさ。あんま納得してくれた感じしなくて。俺とよーくんがこうやってべたべたしてるとこ見たら、田中君も少しは気が楽になるかなって」
「それでさっき団藤と田中君のこと、誘ったんだ」
「ん。すげー余計なことだけど」
「杉沢に盗られるとか、田中君がそういうこと疑ってるんじゃないなら、正直それは関係ねえ気がする……」
「だよねー」

 杉沢はため息交じりに俺の手を握りこんだ。

「どうすりゃいいんだろうね」
「俺もそうだからわかるけど、自信がないタイプは言葉だけじゃ足りないんだと思う」

 杉沢と付き合うまでのすれ違いっぷりを思い出し、俺はつぶやいた。

「……だからその、田中君も」
「早いとこ駿とセックスしちゃった方がいい? 俺もそう思うわ」
「そこまで言ってねえ」

 俺は思い切り挙動不審になった。
 部屋に戻りスニーカーを脱ぐと、杉沢がうしろから抱きついてくる。

「ふー、今日もいっぱい我慢した。褒めて」

 俺は少し呆れたが、ねぎらいの意味をこめてぽんぽんと杉沢の腕を叩いた。

「たまに身体が邪魔。魂になってよーくんに取り憑いて、一生剥がせなくなったらいいのにね」

 真面目な声で杉沢はつぶやいた。

「やめてやめて、縁起でもねぇ」

 俺は本気でこわくなる。杉沢がゆらりと空気に溶けて消えるのはあまりにも似合う。
 物質界に取り残された、儚いというよりはただ貧弱なだけの俺はいったいどうすればいいんだ。

「うそ。こういうことできなくなるし」

 耳にキスが降ってくる。吊り橋効果とあいまって俺はびくりとした。心臓に悪い男め。
 杉沢がこうやって脅かすのも、過剰に引っ付くのも、愛情をいつも確かめていたいせいなんだろうな、と俺は考える。
 お母さんに、この世に置いて行かれそうになったから。

「どっちかっていうと、よーくんをハンディサイズにして持ち歩きたいかなー。どこにでも連れてって、俺のだって見せびらかすの」
「まったくかわいくねえマスコットだな……」
「もー。かわいいに決まってんじゃん」

 頬をつつかれる。

「うざ絡み」

 今夜は俺が夕食を作る当番だったはずだ。
 だがもう当番制は形しか残っていない。杉沢は当然のようにキッチンにいてあれこれ手伝ってくれる。一方的に手伝ってもらうのは悪いから、杉沢が当番のときは俺がアシスタントをする。
 とはいえ単身者用のマンション、キッチンはそれほど広くない。ふたり並ぶと身動きがとりづらい。

「あのさ、もう炒めるだけだから向こう行ってていいよ……スマホでも見てて」
「よーくん触ってないだけ我慢してるのにー」
「肘ぶつかっちゃうから。杉沢が嫌いなわけじゃねえから、な」

 フライパンを手に俺はなだめた。

「はーい」

 杉沢は口を尖らせてふらりとキッチンを出て行った。
 じゃーと肉を投入した音が退場音楽のように鳴る。

「できたよ」

 完成した野菜炒めを向かい合わせで食べる。
 昔はどの野菜もくたくたになっていたが、杉沢に教えてもらったおかげでずいぶん旨くなった。
 俺より健康そうなモヤシがしゃきしゃきと音を立てている。
 テーブルの下で杉沢のすねが俺のすねで暖をとっている。
 これ、夏になったらどうなるんだろう。
 ふつうの猫みたいに寄り付きもしなくなるんだろうか。それとも根性のある猫みたいに暖を取り続けるのだろうか。

(って、当たり前に夏もいっしょにいるかはわかんねえのに)

 俺は発作のように不安に駆られた。
 今この瞬間における杉沢の愛(または依存、もしくはその両方)を疑っているわけではない。
 が、それが永続する保証なんて本当はどこにもない。
 何せ旧彼女が『まだ別れてない』と言い張ったことにより、計三人もの女性が同時に杉沢の彼女を名乗る事態を引き起こしたことのある男だ(これを杉沢彼女三人事件という)。
 俺だっていつかは三人組の一員になるかもしれない。
 このきれいでこぢんまりとした杉沢の洋室に、四人もの男が果たして収まるんだろうか。
 うん、想像するだけでむさくるしい。
 夏場なら暑さによるリストラが考えられる。そうなったら真っ先に切られるのはきっと俺。
 どうしよう。
 ――杉沢が眠れるのは今のところ俺の隣だけ。いざとなったらそれを盾にすればなんとか。
 ――安眠性能の上位互換が現れるかもしれないだろ。
 俺の中でエゴとエゴが醜い口喧嘩を始めている。

「よーくん、箸口にくわえて何考えてるの」
「俺が三人彼氏のひとりになる未来……」
「ないないないない。そろそろ忘れて。ってか、こんだけ愛情表現してんのにまだそうなんの、なんで」
「うっ、自己肯定感が低いからです……」

 ものすごく面倒なことを口にした罪悪感で俺は小さくなった。怒られても当然なことを言った自覚がある。
 原因は杉沢じゃない、俺自身だ。
 幸せを前にするとそれを失う恐怖で身が竦んでしまう。どこまでも杉沢を信じたいくせに、同時にどこまでも疑ってしまう。
 こんないいこと、俺にかぎってあるわけない。俺にはふさわしくない。だからいつなくなってもおかしくない。

「あ、さっき言ってたやつ。言葉だけじゃ不安? もっとくっついとく?」
「お願いします……」
「やったー」

 杉沢がにっと笑って立ち上がり、抱きついてくる。

「信じて、大丈夫だから。ね」 

 背中をさすられ、ちょっと泣きそうになった。
 ほの温かい体温が俺の欠けたところを満たしていく。

「えっと、ありがとう、もう大丈夫だから。飯冷めるよ」
「ん。今よーくん抱っこしながらさぁ、人のこと信じるのってむずいよなって考えてた」

 杉沢はゆらりと椅子に戻り、肘をついた。

「俺もたぶん、よーくんのことすげー疑ってんの。だからこうやっていっつもひっついて確かめてる。抵抗されてない、大丈夫、今日も俺のだって」

 杉沢の足先がふたたびするっと俺のすねに擦りついた。

「うん。わかる」
「よーくんじゃなくて、永遠ってもんの存在を疑ってんのかも。死ななきゃ永遠なんてないのが人間だから」

 俺の脳裏に、病床で目を開いたまま天井を見つめる、管につながれた女性の姿がちらついた。
 今この瞬間も杉沢のお母さんはきっとそうしているんだろう。そう思うと胸のあたりがぎゅっと重くなる。
 あの人も永遠の休息がほしくて死のうとしてしまったんだろうか。

「ねーよーくん、永遠に俺のもんだって言って。うそでもいいから」

 杉沢の瞳は真剣だった。

「大丈夫、お前のもんだよ。永遠に」

 うそでもいい、杉沢を安心させたい。
 杉沢はまったく信じていない顔で微笑んだ。

「よーくん優しいねー」

 お前だって永遠じゃないくせに。
 皿と器が空になる。片付けと風呂が済み、俺はベッドでごろごろしながらゲームをした。

「よーくん、寂しい」

 うしろからのしりと風呂上がりの杉沢がかぶさってくる。スウェットごしに感じる温かい身体、シャンプーの香り。どきりとしてゲーム機が手の中で踊る。

「待て、あ、あ、あ、死んだ」

 気の毒な主人公は崖のかなたへ散っていった。

「杉沢ぁ……お前ぇ……」

 ついつい俺は悲痛な声になる。ああ、俺の二十分が。

「どうしよ、ごめん、邪魔しちゃった」

 杉沢は真面目な声になって抱きつく腕を緩めた。
 俺ははっとした。もともと血色の悪い自分の顔面からしゅるしゅると血の気がなくなっていくのがわかる。
 ゲームなんかに夢中になっていたせいで杉沢を傷つけた。

「あ、いや、セーブしてあるから大丈夫」

 俺はゲーム機を押しのけ、慌ててなだめた。申し訳ないがいくらでも死ねる主人公の命より杉沢の方が百倍大事である。

「叱っていいよ、ゲームにまでやきもち妬いてんの、おかしいもん」

 そっとひっくり返され、杉沢の困り顔と向かい合わせになる。

「よーくんの視界に入ってねーのが不安でたまんないの」
「悪化してねえ?」
「うん」

 杉沢は素直にうなずいた。

「えっと、杉沢のためならゲームやめてもいい、っていう気持ちはある、俺意志弱いからたぶん無理だけど……筋トレも続いてねえし……団藤ごめん……でも杉沢が望むなら」

 俺は早口で言った。
 さよなら、俺の逃避先。父親が荒れているとき、安全に逃げ込めるのがゲームの世界だった。
 だがよく考えたら、今は逃げ道なんて要らない気もする。これも杉沢のため。

「よーくんに無理させんのはダメ」

 杉沢は寂しそうな目をして微笑んでいる。

「自分のこと、二度と許せなくなっちゃう。だからこれは俺の問題」

 なんでこの男はそうやって、今にも消えそうな顔をするのだろう。
 俺は衝動的に口を開いた。

「えっと、その、する……?」

 今の杉沢をこの世界に繋ぎ止めるのに、言葉は無力な気がした。

「いいの?」
「いや、違ったらいいんだ」

 俺はだんだん小声になった。
 これで杉沢に性的意図がなかったらとんでもない勘違い男である。

「違わない。したい。抱きたい」

 杉沢は俺の肩に顔を埋めた。なぜか少し苦しそうだった。
 杉沢、どうしたんだ。何かあったのか。
 そう聞くのが先だったと今になって気づいた。だがもう俺の身体は、杉沢に必要とされている喜びと安心でいっぱいになっている。ダメ男である。

(あとでいいか)

 今は杉沢のすることだけを考えていたかった。

「好きだよ、よーくん」

 甘えたささやきが鼓膜をちりちりと焼いた。
 なあ、それっていつまでだ。
 この瞬間を失いたくない、そう思うほど胸が苦しくなる。

「俺もだ、杉沢」

 余計な不安を口走ってしまう前に、俺は杉沢の首に抱きついた。
 杉沢に脱がされながら、棚の上をぼんやりと眺めている。
 いつか杉沢からもらった青いペンギンが俺たちを見下ろしている。

『ペンギンってさー、孤独の象徴? らしいよ』

 杉沢の寂しげな声が耳の奥に残っている。
 こんなにそばにいるのに、俺の不安はなくならないし、こいつのペンギンは治らない。
 きっとほんとは、俺なんかじゃ杉沢の傷は埋まらないんだろう。
 こんな硬い身体を必死に触りながら、杉沢はまだ寂しいままでいる。


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