続・愛しの距離ナシ君⑤




五 ペンギンに小判



「いいけど、なんで?」
「んー内緒」

 降りたのは大きな駅だった。杉沢に手を引かれ、地下の雑踏を歩いていく。
 男ふたりで手をつないでいるのだから、つい人目が気になる。が、俺もそろそろ慣れなくてはいけない。
 杉沢と付き合うということはこういうことだ。距離感がおかしいのも杉沢の大事なアイデンティティである。
 俺と杉沢が手をつないでいると他人に白い目で見られるのは事実だ。
 だがそれは杉沢と釣り合っていない俺の問題である。むしろ俺がこの見た目で杉沢に迷惑をかけているのである。
 なお性別はもう努力ではどうしようもないので、社会にリベラルになっていただくしかない。

(でも)

 俺はつい暗く考える。

(俺が女だったらいろいろ違ったのかな)

 父親に八つ当たりされがちだったのも、俺が男のくせにひ弱だったからだ。
 俺が女だったら、杉沢にくっつかれても今ほど悪目立ちしていなかっただろう。

(そうだよな、俺が男だからいけないんだよな。男じゃなければ杉沢と結婚だってできたし、杉沢の子どもだって……)

 俺は慌てて考えるのをやめた。
 そんなことを望むのは、俺が女だっておこがましい。
 今の杉沢が望んでいる永遠は、治ればそのうち要らなくなる。

(っていうか俺、こんな願望あったのかよ)

 ひとりで猛烈に恥ずかしくなっている。
 杉沢は迷わずショッピングセンターに入った。俺がスーパーで飾り付けたものを百倍豪華にしたような電飾があちこちで瞬く。アパレル店からはジャズアレンジのクリスマスソングが流れている。
 地下でおいしいものでも買うのかなと思ったが、杉沢は上りのエスカレーターに乗った。それから二階の宝飾店で足を止める。
 俺とはまったく無縁のまばゆい輝きがショーウィンドウに並んで、杉沢の瞳に映っている。
 降り注ぐ人工的な光の中に美しい男がたたずんでいる。

「杉沢?」

 俺は半分見惚れながら声をかけた。
 杉沢はゆっくりとこちらを見た。

「俺たちさー、こういうの要ると思うんだよね」

 俺は間抜けに口を開けた。

「俺たちとは」
「だから俺とよーくん」
「杉沢だけでよくね……?」

 俺は正直に言った。
 猫に小判、モヤシにアクセサリー。

「ふたりでつけないと意味ないやつがほしい」
「ペアなんとかみたいな……? いやいやいやいや」

 俺は恐縮して首を振った。
 そんな恐れ多いものを。いつか三人彼氏の一メンバーに格下げされたのちリストラされるだろう俺が。
 お金がもったいない。
 杉沢の顔から笑みが消える。

「嫌なの?」
「いや、えっと、嫌というか」

 杉沢は俯いた。

「よーくん、お父さんに約束したでしょ?」
「えっ」
「……ごめん、今のなし。忘れて」
「杉沢」
「そうだよね、よーくんは俺と永遠にいっしょにいてくれるわけじゃないもんね。こんなの重いよねー……」

 杉沢がなぜかどんどんダークサイドの杉沢になっていくのがわかった。しまった。

「い、い、要ります」
「ほんと? 無理に言わせてない?」
「大丈夫……えっと、今日は持ち合わせてないけど……今度ちゃんと下ろしてくるから」

 俺は値札を確認して言った。
 杉沢のおかげで家賃は浮いているから、なんとかバイト代でまかなえそうだ。

「いや俺が買うよ? 仕送り、使い道なくて結構貯まってるし」

 俺は青くなった。忙しいモヤシである。

「いやそれはちょっと申し訳なさすぎるというか俺のぶんは俺が出すからその杉沢のぶんは杉沢が出すというかそんな感じで……いや杉沢のぶんは俺が出してっていうのでもいいし、その」

 杉沢は口を尖らせた。

「よーくんがそのほうがいいなら……じゃあまた来よう? ね、どんなのにする? リング? それが重いならドッグタグとか」

 杉沢はショーケースを指さしている。だが俺は疎くてよくわからない。
 そして俺はその場で判断するのが苦手な人間である。
 焦りに焦りが重なっていく。追いつめられた俺がとっさに口走ったのはなぜか、

「ぺ、ペンギン」

であった。
 杉沢は呆気にとられた顔をした。
 当たり前である。ショーケースにはペンギンらしきデザインはない。
 違う、ペンダント。言い間違えた。
 そう言い繕おうと口を開いたが、先に杉沢が笑った。

「はは、それ、いいかも。初めてのプレゼントだったもんね、ペンギンのマスコット」

 つじつまがあってしまった。
 そのとき俺は思い出した。ペンギンは俺にとって杉沢の代名詞だったことを。
 言い間違いは深層心理を表すと聞く。
 火がついたように頬が熱かった。
 つまり俺もまた、マスコット化した杉沢を肌身離さず持ち歩きたいと心の奥底で願っていたわけである。気持ち悪い。

「そっか。あれ、そんなに大事だったんだ。うれしい」
「そうだよ」

 俺は半分やけくそになって言った。
 だってあの日からなんだ。友だちも恋も無縁でしかなかった俺の人生がちゃんと始まったのは。
 杉沢は俺の腰を引き寄せた。

「今度またあの子連れてどっか行こ。あんときみたいにさ、海でもいい。あれ楽しかった」

 そうか、楽しかったのか。
 それだけで生きてきてよかったと思えた。志麻がいるとなんかだるい、などと同級生に言われてきた俺には特に。

「うん。また行こう」

 また杉沢が楽しいと思えるようになるなら。

「ん。絶対だよ」

 杉沢の笑顔はすごくきれいだった。
 家に帰ってから、俺は店長に電話した。店長は古い人なのでグループチャットをしないのである。

「友だちのお母さんのお葬式。そう。どうしても行かないといけない?」

 馬鹿正直に話したのが裏目に出たのだろうか。どうしよう。俺は狼狽えた。

「はい」
「生前お世話になったんだ? じゃあしょうがないか」

 ひとりで納得してくれたので俺はほっとした。

「急ですみません……」
「いや、いいんだけど。悪いけど来月は平日に埋め合わせしてもらうかも」

 淡々としているが有無を言わせない雰囲気だ。
 俺はふたたび一気に緊張した。

「はい」

 俺は蚊の鳴くような声で答えた。

「来月は棚卸があるから人手がね。頼むね」
「はい。……あのえっと、もう一日お休みって取れたりしますか」
「えっ、今月? 年末全部いけるって言ってたよね?」
「……はい、すみませんでした」

 俺はヘタレである。
 電話を切るとどっと疲れが出た。ベッドに腰かけていた俺は、スマートフォンを押しやってよろよろとマットレスに伏せた。

「杉沢、お葬式は行けるよ。海は……もうちょっと待って……」
「無理言ってごめんねー。俺いい子だからちゃんと待つよ」

 上着を片付けていた杉沢は、俺の横にくると頬にキスした。
 理解があるのがかえって罪悪感になる。どうして俺は勇気が出せなかったんだろう。
 電話ですべてのエネルギーを使い果たし、だらだらと夕方を過ごす。杉沢は寝そべる俺の上に全体重をかけて折り重なった。

「重い……」
「ねー、暇?」
「まあ」
「オーダーメイドでアクセサリー作ってくれる店なんだけどさ、ここよくね? クリスマスセールだって」

 杉沢が見せてきた画面には、シルバーアクセサリー専門店のホームページが載っている。

「俺あんま詳しくねえから杉沢の好きで……でもよさげではある」

 値段を確かめて端末を返却すると、杉沢は頷いた。

「よし、じゃあ今度ここで作ろ」

 やはり本気だったらしい。そしてペンギンのペンダントは実現可能なようだった。
 ショッピングセンターで買ったちょっといい惣菜を食べて、風呂に入る。
 夜は睡眠薬を飲んだ杉沢に、ただ添い寝をした。

「一日中よーくんを独占できるって最高だった」

 杉沢は俺に抱きつき、緩んだ顔で笑っている。
 俺の胸はぎゅっと苦しくなる。
 俺が休日のバイトを続けているから杉沢は不安定なんだろうか。
 こんな時間をもっとたくさん過ごせたなら杉沢は元気になるんだろうか。

(でも学資が)

 母親の再婚相手に援助してもらってはいるが、これ以上は頼りたくない。
 家賃が浮いて楽になったとはいえ、これから三年と少しの間、働かずにいられるわけもなかった。

(出勤を平日にする……と体力が)

「よーくん、撫でて」

 悩みながら、俺は杉沢のさらさらとした髪に触れる。
 時間が自由にならない以上、せめて今はこいつを大事にしないと。
 杉沢は俺にくっついたまま、小さく伸びをした。やはりこうしていると猫に似ている。

「あー寝たくねー……明日が来ないでほしい」
「寝なって」

 俺はあくびを噛み殺した。
 まぶたが重い。杉沢が眠るのを見届けたいのに。
 こいつの隣ならもう怖いことはない。俺を殴る拳も、八つ当たりの罵倒も飛んではこない。
 このベッドは方舟で、杉沢と俺だけが静かな世界に漕ぎ出している。そんな安心感が俺を満たしている。
 杉沢にとっても同じだといい。悲しみもやるせなさも、ここには届かなければいい。
 そんなことを考えているうちに、三十六度ちょっとのぬくもりが俺を眠りへと引きずり込んでいく。
 翌朝、俺が起きると杉沢はコーヒーを作っていた。俺は慌てて跳ね起きた。

「おはよ、よーくん」

 何やってんだ、俺。
 杉沢を寝かしつけるつもりだったのに、また逆になってしまった。

「杉沢、ちゃんと寝たか……?」
「うんうん、寝た寝た」

 恐る恐る尋ねると、杉沢はうそくさく言った。
 やはり杉沢の不眠は治っていなかったか。俺は途方に暮れた。

「講義が終わったらー、昨日調べたお店に行こ?」

 ベッドにふたつのカップを持ってきて、杉沢は楽しそうに腰を下ろす。
 えっ、今日行くのか。せめてお葬式が済んでからの方がいいんじゃないか。そんな常識が口をついて出そうになったが、ぐっと飲み込む。
 杉沢はきっと、お母さんが亡くなった悲しみを紛らわせたいんだ。

「うん」

 俺はカップを受け取りながら俯いた。
 大学での杉沢は、驚くほどいつもと変わらなかった。
 友人たちも何事もなかったかのように騒いでいる。杉沢が落ち込まないように気を使っているのかもしれない。

「こいつのおばあちゃんさ、すげえいっぱいおやつくれるんだよ。たつのりちゃんのお友だちだからってみかんでしょ、揚げせんべいでしょ、昆布でしょ、干し芋でしょ。あと魚肉ソーセージ。……金に困ったらまたもらいに行こうかな」

 友人たちのひとりがひどく真面目くさった顔で言う。軽く笑い声があがる横で、杉沢はぐだりと俺に寄りかかって半笑いしている。
 時間が巻き戻ったかのようないつもの光景だった。

(こいつはいつも、何があってもこうやってふつうにしてたんだな)

 そう気づくと胸が痛んだ。
 杉沢が一見ふだんと変わらないのは、傷を隠すことに慣れているからだ。
 重い感情を封じ込めて(少々雰囲気から漏れ出てはいたが)、杉沢が外向的なペルソナを演じてきたことを俺は知っている。
 誰かに心配をかけないように。友だちに見捨てられないように。
 杉沢のために何かしたくて、いてもたってもいられない気持ちになった。

(……えい)

 誰かに見られないようにこっそりと、机の下で手のひらを杉沢の手に重ねる。こんなことをしたって何になるわけでもないのに。
 杉沢は俺の顔を見上げると、その手を握り返してきた。

「へへ、捕まえちゃった。どした?」

 微笑んでくれるのはいいが、そうやって耳にささやかれるとどんどん恥ずかしくなってしまう。

「いや、なんとなく……杉沢がつらいと嫌だなって……」
「大丈夫だけどー、もらっとく。ありがと」

 ふたりでひそひそやっているものだから、周りは気まずい雰囲気になってきてしまった。さりげなく見て見ぬふりをしてくれているのがありありとわかる。すまない。 
 輪から少し離れたところで、団藤は相変わらず浮かない顔でぼんやりとスマートフォンを見ている。
 杉沢のことを心配しているのか、それとも田中君と何かあったのか。

「よーくん」

 講義が終わると、杉沢がふざけあう女子のごとく強引に腕を組んでくる。
 周囲の白い目は、今日は杉沢に対する憐みに見えた。
 母親のことでおかしくなっちゃったんだな、気の毒に、という視線である。たしかにそういう面もあるので何も言えない。

「行こ」

 杉沢はまったく意に介さない様子でいる。どんなにつらいときでもマイペースさを失わない杉沢はやっぱり強い。
 校門を出たところで、田中君と鉢合わせた。

「おー、久しぶり。元気?」
「あ、はい」
「駿と待ち合わせ?」

 杉沢は田中君の顔を覗きこむ。
 もちろん俺の腕は絡めとったままである。

「えっと、いえ……」

 田中君の視線はおずおずと俺の二の腕に向いた。何か言いにくそうにしている。

「あの、志麻さん」
「はい……?」

 こちらに話かけてくると思っていなかった俺は声をひっくり返した。

「やっぱりなんでもないです」

 そこで止められると気になる。俺に言いたいこと。なんだろう。
 しばらく考えているうちに、俺はあっと思い出した。
 田中君が杉沢でも団藤でもなく俺に用があるとしたら、あれしかないじゃないか。

「えっと、父さんのことです、かね……? 出廷の都合がつかないとか……?」

 公判は来月以降の予定だった。父が捕まった直後は田中君を含め、その場にいた全員が調書をとられてかなり忙しかった。

「ご迷惑をおかけしてすみません、大事な時期なのに……」

 俺は頭を下げた。
 田中君に対して申し訳ないのは本当だ。だが同時に、心の片隅で思ってしまう。たぶん俺はこれからもずっと、父さんのせいで誰かに謝り続けないといけないんだろうな、と。
 父のせいでけがをした警備員の人には、お詫びの品を受け取ってもらえなかった。全部弁護士を通しますので帰ってください、と静かに言う声が今も耳に残っている。
 どんなに謝っても、あの人の息子として生まれた事実は消えてくれない。父は刑で償えるのに、俺たちには償う手段もない。
 この感情を世間では憎しみというんだろうか。
 田中君は童顔を真っ赤にして困っている。俺は我に返った。

「いえ、そんなんじゃないです……でもあの、志麻さんの連絡先、まだうかがってなかったのでもしよかったら」

 連絡先が知りたくてもじもじしていたとは思わなかった。

「ごめんなさい忘れてましたあのそうですよね要りますよね」

 俺はあたふたとポケットを探った。連絡先を交換しあうと、田中君はほっとした顔をした。

「ありがとうございます……えっと、それじゃ」

 帰っていく田中君を、俺はぽかんと見送った。
 え、団藤に会わなくていいのか。

「ほんとによーくんだけに用があったみたいだねー、不思議」

 杉沢は口を尖らせている。

「それより、早く行こ?」
「あ、ああ」

 田中君の謎に首をひねりながら、俺は杉沢に手を引かれていく。



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