続・愛しの距離ナシ君⑥




六 二文字の願望



 電車に乗って繁華街へ向かう。

「ダメだね、俺。よーくんのことになると世界中がライバルになる」

 同じつり革に無理やりつかまって、杉沢はゆらゆらと揺れている。

「連絡先を渡すってだけでよーくんが減る気がする。田中君を阻止しなかった俺偉い」

 普通な気がする。

「俺たちのペンダント、早くほしい。俺の名前も入れるの。よーくんが誰かのものになんねーように」

 杉沢が俺の首を指先で撫でる。周りの人、すまん。

「ならねえから。あとオーダーだからちょっとは待つと思う……」

 それまでに杉沢が治って俺が用済みになっていたらどうしよう。
 アプリの地図を頼りに裏道を曲がって行くと、小ぢんまりとして洒落た店につく。ドアにかかっているのは本物の柊を使ったリースだ。

「ここだねー」

 俺は怖気づき始めた。
 男性ふたりがペアネックレスをほしがっているのはかなり目立つんじゃないか。変な目で見られたらどうしよう。
 いや、何もうしろめたいことはない。変な顔をしたら店の人が悪いんだ、そうだ。俺は自分に言い聞かせる。

「よーくん、入ろ」

 よりにもよって肩を抱かれるようにして店の中に入る。だが店の女性はまったく動じなかった。

「ペアアクセサリーですね、かしこまりました」

 さすが都会のお店。いろんなカップルのお客様に慣れているのかもしれない。 

「おふたりでしたらメンズライクなモチーフもお似合いになりそうですね」
「いや、ペンギン?」

 杉沢はいたずらっぽく笑っている。

「ちょっとした思い出なんで」

 相談の末、ペンダントトップはリング形のものとなり、側面にさりげなくペンギンとイニシャルの刻印をすることになった。俺はともかく、杉沢にはよく似合いそうだ。
 一か月後に引取りをする約束をして、店を出る。

「ん、これでちょっと安心」

 杉沢はそう笑うと、ビルだらけの狭い空を見上げた。夕焼けの名残が四角く切り取られている。
 不謹慎だってかまうものか、と俺は杉沢を眺めながら考えている。
 杉沢が喜んでいるんだから、きっと杉沢のお母さんも怒らないと思う。そうであってほしい。
 杉沢はポケットに手を突っ込むと、こちらを向いて微笑んだ。そして耳を疑うようなことを言った。

「よーくんと俺はねー、結婚したんだよ」

 俺はぽかんと口を開けた。
 今、なんと。
 今の日本は男同士では法律上結婚できないとか、そもそもアクセサリーにはそういった拘束力はないとか、そんな野暮なツッコミが次々に頭に湧いてくる。

(ぷ、プロポーズもねえし急すぎるし、っていうかまだ付き合って一か月だし、え、ネタだよな? そうだよな……?)

 俺はどう答えていいかわからなくて立ち尽くした。杉沢の笑顔から本心は読めない。

「……ごめんね、困らせちゃった」 

 おろおろしていると、俺の手をそっと杉沢が包んだ。
 緊張しきっていた身体から一気に力が抜ける。
 それが安堵なのか落胆なのか、自分でもはっきりしない。
 とにかく心臓に悪い冗談はやめてほしい。舞い上がってしまった自分が猛烈に恥ずかしいじゃないか。

「楽しみだねー。一か月なんて待ち切れねー、日めくり買おうかな」
「一か月しか使わねえのにか」

 内心反省会を開きながら、俺はぼそりと突っ込んだ。
 家についた杉沢は上機嫌だった。

「えへへ、よーくんとお揃いのペンダント買っちゃった。いいでしょ」

 棚へ寄っていってペンギンマスコットの手をつまみ、左右に踊らせている。
 愛らしい光景を横目に、俺はベッドに座るとスマートフォンを弄った。通知を見て少し驚く。

(あれ、田中君から何か来てる……?)

『さっきはすみませんでした ちょっと折り入って相談したいことがありまして』

 俺は困惑した。
 出身高校の縁がある杉沢ではなく、俺と相談したいってどういうことだろう。
 杉沢の方を振り返ると、ペンギンダンスに飽きたのか料理を始めたところだった。

『どうしたんですか 団藤のことですか』 

 とりあえずそう送ってから、しばらく部屋の片付けをした。

『そうです』

 気づくとメッセージが増えていた。

『やっぱり先輩にとって一番大事なのは杉沢先輩じゃないかって 先輩ずっと杉沢先輩の心配ばかりしていて』

 これはまずい。俺はいそいで返事を書いた。
 さっきの様子からいって、田中君は杉沢のことを聞かされていない。きっと何か誤解している。

『杉沢のお母さんが死んじゃったのでそのことだと思います 友だちとして普通だと思いますよ』
『そうだったんですか それはお気の毒です ごめんなさい』

 返事を読んで、俺はほっとした。

『でも』

 そう続いて、俺はふたたび緊張する。

『志麻さんは怖くないですか 先輩と杉沢先輩のこと』

 俺はどう答えていいか困ってしまった。
 本当のことを言えば、怖い。俺と杉沢の間で結んだ即席の絆より、ずっと古くて濃いものがきっとある。
 だがその恐怖を田中君に正直に言うべきなのか?
 自分に自信のない子をかえって混乱させるだけじゃないか?

『先輩とちゃんと付き合うようになったら先輩も変わるかもって思ってたんですけど かえってきついかもって今は思ってしまう 付き合うのやめた方がいいでしょうか』
『団藤はいい奴です 浮気するような奴じゃないです』

 とりあえず俺が自信をもって答えられることを伝えることにした。

『それは知ってます だからたぶん二番目に大事にはしてくれるのかなって』

 この思考回路、とても他人事とは思えなかった。俺を見ているようだ。

『おそらくですけど順位じゃないです 友だちと恋人で違うスペースを持ってるっていうか それだけじゃ納得できないかもしれないけど』

 俺は半分自分に言い聞かせている。

『最悪俺は杉沢が幸せだったらいいんです』
『二番目でもですか』

 田中君の気持ち、そして俺の未来を思うと胸がきゅうと痛んだ。それでも。

『杉沢がいなかったらマイナスだったんです 杉沢が救ってくれたんです言い方は大げさですけど だからあいつが幸せになるのが一番です 捨てられたってもとの俺に戻るだけです』

 そう、だから杉沢は治っていい。
 その結果、俺がいらなくなったとしても。
 やめろ、ひっこめ涙。目の縁から先へは出るな。
 チャット画面の向こうで田中君は何を思ったんだろう。しばらく間があった。

『ありがとうございました お話聞けてよかったです 少し考えてみます』

「よーくん何見てるの」

 杉沢の声が降ってきて俺は数センチ飛び上がった。

「えっと、えっと……田中君からの恋愛相談……」

 思わず正直に話してしまった。田中君ごめん。

「さっそく? ふうん」

 杉沢は露骨につまらなそうにしている。

「ごはんできてるよ、おいで」

 杉沢は座りながらテーブルを軽く叩いた。
 ミートソーススパゲッティの皿がふたつ並んでいた。ひき肉の岩でごつごつとした赤い山が粉チーズを浴びて、温かそうな湯気を上げている。

「ありがとう……ごめん、こんなときに作らせちゃって、手伝えばよかった」

 俺は慌てて着席した。
 田中君からのメッセージに気を取られ、気配りが足りていなかったのが申し訳ない。

「んー? 大丈夫だよ、もともと俺が当番の日だし、ソースは作り置きだし。ほら、今日は家族っぽいことしたい日ってね」

『よーくんと俺はねー、結婚したんだよ』

 家族っぽいという言葉からの連想で、さっき聞いた杉沢の冗談を思い出してしまった。俺は思わず赤くなる。
 勘違いすんな、杉沢はそんなつもりで言ってねえ。

「す、杉沢のミートソース、好きだよ」

 照れ隠ししながら、巻きすぎて塊になった麺を頬張った。

「ありがと。覚えとく」

 杉沢は眼差しを柔らかくして、俺の顔を見ながらフォークを緩く回している。

「俺ねー、料理ほとんど全部自分で覚えたんだ。お母さんから教わってなくてさ」

 俺ははっとして杉沢の方を見上げた。

「今はよーくんに作ってあげられるからすげーうれしい。覚えてよかった」
「杉沢」
「あと自分も旨いしね」
「杉沢」

 杉沢は麺を口に運んでいる。
 俺は杉沢がもぐもぐと口を動かすのをただ見つめた。同情ともいとおしさともつかない感情がこみ上げて言葉を奪った。
 薄い頬が膨らんでいるのも、目立つ喉仏が上下に動くさままでが、どうしようもなく大切だった。
 こいつを失いたくない。何があっても。

(でも、いつかは)

 全部飲み込むと、杉沢はぽつりとつぶやいた。

「さっきみたいに褒めてもらえるとさ、これからずっとよーくんにごはん作ってあげたい、とか思っちゃう」

 『結婚』の二文字が派手な電飾をつけて、脳裏を電光石火のように通り過ぎる。
 だから関係ねえって。しつこいぞ、俺。

「そ、それはダメだ、申し訳なさすぎる、これからもちゃんと当番制で」

 俺が慌ててまくしたてると杉沢は笑った。

「ん。わかった。俺もよーくんのごはん楽しみだもん」

 その夜は俺もあまり寝付けなかった。
 杉沢の冗談だとわかっていながら、『結婚』の二文字で挙動不審になる自分が恥ずかしくて仕方なかった。
 愛のかたちにこだわる自分がいたなんて知らなかった。いつだって諦めのいい人間として生きてきたつもりだった。  

(どんなにしたくたって法律がそうなってねえし……そもそも結婚なんてただの財産分配の契約だって民法の先生が言ってたのに)

 永遠の愛、誓い、家族。俺がほしいのはそんな絵空事の方だ。
 杉沢と付き合っているだけで贅沢すぎるのに、俺は無意識にそれ以上の確かさを求めている。

『ねーよーくん、永遠に俺のもんだって言って。うそでもいいから』

 杉沢の声がふいに戻ってくる。
 俺は杉沢の隣で小さくため息をついた。

(お前の永遠だって、うそで冗談で気の迷いだろ)

「よーくん、どうした? ため息ついて」

 しっかりと起きていた杉沢が優しく俺を撫でた。俺は気まずくなる。

「なんでもねえ。……お前が好きだって、それだけ」
「うれしー」

 そんなことで喜んでくれるのはきっと今だけだ。
 俺は杉沢のぬくもりを噛みしめた。
 けっして忘れないように。
 いつでもこの記憶にすがって生きていけるように。

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