バニーボーイは命令されたい 4
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気づくと駅前のタクシー乗り場だった。人々がぎょっとしてこちらを見ているが、拓馬はかまわず俺を後部座席に座らせた。
「すみません、赤羽まで」
行き先が拓馬の家だと気づくと心臓が鳴った。今度こそパートナーにしてもらえるんだろうか。期待はすぐに黒い現実感に飲まれた。
何を浮かれているんだ。説明が先だ。わかってもらえるのか。
「今はなんも言わないでいいよ。落ち着いたらでいい」
優しい声が俺を包んだ。大きな手が俺の背中をさすっている。俺の顔を覗きこむ拓馬の表情からふわふわした頼りなさが消えている。たった一晩で、俺を置いて大人になってしまったようだった。
(父親に勝ったからか)
犬のように純真だった瞳は支配者の落ち着きを浮かべている。こうして見ると畑山の目によく似ている。
俺はぞくりとした。あの男には恐怖と嫌悪しか感じなかったが、拓馬は違う。熱で頭がぼんやりとしてきて、俺はあわてて目を逸らした。酒に酔ったらこんな感じだろうか。
雨が降ってきたらしい。夜景が無数の水滴に閉じ込められ、車窓の上を流れていく。拓馬の優しい手が俺の背中を撫で続ける。
黙っていることへの罪悪感、こいつなら許してくれるかもしれないという淡い期待、ドムに逆らいたくないサブの本能がぐちゃぐちゃに混ざって溢れだす。沈黙が苦しかった。
気づけば俺は事情を話していた。大学で具合が悪くなったこと。滝本のこと。
「あー、全サブ連」
思わぬところで拓馬が相槌を打った。
「知ってるのか」
「母さんがお世話になってる」
一応ちゃんとした組織だったのか、と思いながら話を続ける。
「事情を話したらサブドロップに効くっていう仕事を紹介してもらって……寮があるって話で……拓馬んちを出ていくことになったから頼ってみたら、そこが」
笑われそうだと思い、俺はうんと小声になった。
「バニー……へえ。それで父さんが客に……」
ドムの笑顔がかちこちにこわばっていく。甘かったタクシー内の空気が冷えるのがわかった。
失敗した。俺は拳を膝の上で握った。
「なんで黙ってたん」
「そんなの恥ずかしくて言えるかよ。それに、お前は別にパートナーじゃなかったし」
「そっか」
苦しそうにつぶやいて、拓馬は手のひらに顔を埋めた。ずっしりと重い沈黙が車内を満たした。
「もっと早くパートナーにしとけばよかった……」
拓馬は俺の手を唐突に握った。その強さに呼吸が止まる。
「運転手さん、いそいでくれますか」
「え? あ、はい」
運転手は苦笑交じりにアクセルを踏む。やりとりを聞かれていたのだろう。思わず耳まで熱くなる。
「釣りはいいです」
タクシーが着くと、拓馬は片手で札を出した。
「小銭落としてたもんな……俺、出そうか。電子なら」
「いい」
拓馬は俺を短く遮った。俺の手をかたく握ったままだ。
「ごそごそやってる間に逃げられたくない」
「逃げねえよ」
逃げるわけあるか。ずっとパートナーにしてほしかった。
「お若いっていいですね」
運転手は言い合っている間に釣りを用意していたらしく、あきれ顔で小銭を突き返して、ドアを開けた。
少し濡れながらアパートに入る。拓馬に手を引かれ、部屋の前まで来る。いつになく険しい顔で拓馬は鍵を漁る。なかなか鍵は出てこない。
(こういうとこはいつもの拓馬なんだよな)
この胸の生温かさを、世間ではいとおしさと呼ぶんだろうか。
かばんの奥底から鍵をようやく引っ張りだし、拓馬は乱暴にドアを開ける。玄関に入るとうしろからいきなり、力いっぱい抱きしめてくる。
「苦しい」
「我慢して」
命じられ、サブの身体は一瞬で溶けた。
「幸晴は悪くない……悪いのは俺……だけど……ごめん、悔しい」
ふたり立てばいっぱいになってしまう狭苦しい玄関で、拓馬の身体が熱くなっていく。硬いものを腰に感じる。ドムの手が腕に食い込む。
「俺の知らない幸晴がいた……お前のことなら全部わかってるつもりだった。俺、馬鹿だ」
「たく、ま……」
「俺が間に合ってなかったら、お前は今頃」
拓馬は声を詰まらせた。
「思う存分、ひどくしてみろ……お前になら、何されたって、いい」
喉に熱が絡んで、俺の声もきれぎれになった。
「ゆき、はる」
「最初から、何されたって、よかった」
拓馬の息が荒くなっていく。奇妙にたどたどしく、拓馬は言った。
「これだけ、聞かせて……セーフワード、なんにする」
俺は息だけで笑った。やっぱりこいつは呑気だ。俺はブレーキなんていらないのに。
「全サブ連」
「なにそれ」
「お前、絶対萎えるだろ」
「こんなときにお前は……」
ため息をつきながら、拓馬は俺を振り向かせた。
「もう待てない。ほんとにそれで行くよ、知らんよ」
「ん」
「ニール」
笑う余裕は一瞬で消えた。ばちんと脳に火花が散った。
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