バニーボーイは命令されたい 5




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 まだふわふわとした甘さの中にいる。シャンプーのにおいをさせたパジャマ姿の拓馬が、隣から優しく俺を抱き寄せている。ベッドの上に体育座りになって、俺はおとなしく拓馬の腕に収まっている。

「サブはケアが大事だって習ったし。恋人になったんだからいっぱいくっつかんと」

「うん……」

 こんな幸福でいいんだろうか。仕事を投げ捨てただけで。

「それに、ちょっとでも離れたらまた父さんになんかされそう」

 ぎゅっと腕に力を込めてくる。

「ちゃんと殴っとけばよかった」

「まずいだろ、それは」

「うそうそ。止めてくれてありがと。捕まってたら今こうやって幸晴とくっついてられんもんね」

 拓馬は俺のこめかみにキスする。じゅわっと熱い感覚が身体をいっぱいにした。

「あれが父さんだって、知ってた?」

 俺はぼんやりと首を横に振った。

「苗字、違ったから」

 あとから考えれば顔立ちもよく似ていたのに、苗字のせいで気づかなかった。

「父さんと母さん、籍入れてないから」

「前に言ってたな」

「父さん、何人か付き合ってるサブがいるらしいんだけど、男の子産んだの母さんだけで。一応籍を入れる話もあったみたい。でも母さんが父さんのせいでメンタルやって、入籍を拒絶して、そのまま」

「よそにパートナー作るときは、ちゃんと俺を捨ててくれ……耐えられそうにない」

 俺は思わずぼそりと言った。拓馬は笑った。

「その心配だけはいらんから。幸晴だけ」

 優しい眼差しが俺を溶かした。照れ隠しにスマートフォンを弄ると、画面に通知が来ている。

『店に欠勤の連絡しておいたよ』

 浅野先輩だった。ほっとした気持ちと、もうどうでもいいのにな、という気持ちが交じり合う。

「難しい顔して」

 拓馬の指が俺の頬を突いた。

「や、明日仕事辞めてくるから……」

 口にすると嫌な現実感が胸に広がった。

「店の人、怖いの?」

「怖いというか……まあ怒るだろうな」

「もう忘れな、そんな仕事は」

 拓馬がスマートフォンを取り上げて遠くに押しやった。

「あと、たぶん思ってるほど大変なことにはならんよ」

 拓馬はなぜかにこにことしている。



 机の向こうで店長は腕組みをして、にこりともせず俺を見つめている。同じサブなのにどうしてこんなにすごみがあるんだろう。

「お客様が強引だったのはトールから聞いたけど、もう少し根性見せてくれてもよかったわ。クレームで大変だったわよ。せめて店に顔を出しなさ……」

「あの」

 俺は店長を遮った。

「急で悪いんですけど、辞めさせてもらいます……すいません」

 店長はため息をついた。

「例の彼氏?」

「はい」

「ペナルティ。今月の給料は渡せないわ」

「それなんすけど」

 店長は眉を上げた。

「俺のドム、親が全サブ連本部の方に世話になっていて……滝本先輩のあっせんについて問い合わせたんです」

 店長の眉がさらに上がった。

「そしたら、うちはそんな紹介はしてない、問題行為の可能性があるので調査するって、返答があったそうで……ここの名前はまだ出してないんですけどぉ、どうします?」

 上目遣いで様子をうかがうと店長は苦笑いした。

「交渉材料にとっておいてくれたわけね。頭のいい子。それともドム君の入れ知恵?」

「拓馬は全部報告したかったみたいですけどね。今も表で待ってます」

 店長は降参するように両手をあげた。

「わかったわよ、ちゃんと給料は出すわ」

「お世話になりました」

 軽く頭を下げて事務室を後にする。振り返ると林立したウサギの被り物が俺を見送っている。もう二度と被ることもないだろう。寂しくはまったくない。むしろ晴れがましい。

「ほら、言ったでしょ。君は半年持たないって」

 事務室の外に浅野先輩がいた。

「今までありがとうございました」

「ほんと、ほんと。君に付き添ったおかげでペナルティ食らっちゃった」

 先輩はモップの柄に顎を載せてぼやいた。

「すいません」

「気にしないでー。奢ってもらった二人前の夕食代よりはだいぶ安かったから」

 先輩は表情筋ひとつ動かさず言った。

「そういえば、なんで拓馬を呼ばせてくれたんですか」

「……君が自滅するぶんには君の勝手だから?」

 照れ隠しなのか本気なのかわからない。

「じゃ。幸せになりなよ」

 まったく興味なさそうに言って、浅野先輩は入れ替わりに事務室へ入っていく。

「なってます」

 閉じたドアに向かって俺はつぶやいた。

「終わった?」

 寮から引き揚げた荷物をいっぱいに抱え、拓馬は店の前で待っている。

「早く帰ろ、ウサギさん」

 ドムはからかうように微笑んでくる。

「よせ、もう違うから」

 俺はぶっきらぼうに言った。辞めてしまえばあんな格好で給仕していた自分が恥ずかしくて仕方がない。

「別にどこも違わんよ?」

 拓馬は笑った。

「俺の知らない幸晴がいるのやだから、コスチュームを一式買いました。通販で。今夜あたり届くと思う」

「え」

「楽しみだ」

 俺は泡を食った。

「いや、俺、すさまじく似合ってなかったし。趣味が悪い……」

 拓馬は声を落として耳打ちした。

「せっかくの贈り物だよ。ちゃんと着な。これは命令」

 ささやきは甘い感覚になって、拓馬を知った俺の内側にしみ込んでくる。膝がかくんと折れる。

「おっと」

 拓馬は荷物を片腕で抱えなおし、俺を支えた。

「帰ったらいっぱい、俺とだけ遊ぼ」

 俺を見下ろすドムの目は笑っていない。

 吹っ切れた拓馬は恐ろしい。俺の腕を引っ張って、恋人はネオンの街を強引に歩いていく。



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