塩味アルファが甘くなるまで①







「ガキだからダメ、大人だからダメ! 俺はいったい何になりゃいいんだ!」
「それで俺がどうなるのか、知ってて言ってんの?」

鉄壁の全寮制オメガ学園に通う主人公。離れている間に彼が大人になったことに気づくと、初恋のアルファは揺れはじめ――
クールな美形保護者×一途だが精神年齢小学生のピュアピュア前向き平凡オメガ。アルファの自制心が試され続けるタイプのすれ違いラブコメです。
Kindle同人誌にしました。



一 子ども扱いするな



 お砂糖のように甘いラブストーリーは、ミチルには用意されていなかった。

「お前みたいなガキ、悪いけど範疇にないんで。ごめんなさいね」

 ユキトは顔を上げ、醒めた目で言った。
 青空の下で誇らしげになびいていた紙が、しおしおと下りていく。
 ミチルはぎゅっと唇を噛み、手元の紙を見下ろした。性別欄には医者の字で『男/オメガ』と書かれている。
 なんだ。これさえあればユキトに相手にしてもらえると思ったのに。

「ガキって二個しか違わないじゃん」
「お前の精神年齢小学生じゃん」

 ミチルは中学二年生だが、相変わらず落ち着きがない。

「ユキト理想高すぎ。誰ならいいの」

 少なくともお前ではない、とでもいうように、アルファはスマートフォンに目を落として脚を組んだ。画面の中では白黒の線で描かれた主人公が『あああああああ!!!』と叫び、敵の顔面を拳で凹ませている。

「読書の邪魔をしない、静かな子かなー」

 ミチルは膨れ顔でおとなしくベンチに座った。
 ユキトはミチルよりふたつ年上の隣人で、ミチルの初恋だ。
 ミチルの扱いがうまいユキトはミチルの両親から多大な信頼を得ており、ミチルが幼いころはよく子守をしていた。礼としてもらえる小遣いが漫画やゲームの重要な資金源となっていたため、ユキトからも特に異論はなかったようだ。

「ばっ、だっだっだっだっだっ、ぼがーん」

 構ってほしくなったミチルは漫画の効果音を実況中継し始めた。

「うるさいよ。自分で買って読め」
「黙ってたらつまんない」
「俺の邪魔しかしないんじゃ、俺の嫁さんにはなれないね」
「えー」

 風が吹いて、ミチルはふいに黙った。柔軟剤の匂いに混じってアルファの香りがほのかに届く。ミチルは目を閉じた。まぶたの裏にきれいな色をした光が散っている。ピンク、オレンジ、黄色。ユキトの匂いを嗅ぐといつもそうだ。だがその話をしても、ユキトを含め誰も信じなかった。誇張しすぎて危ないドラッグの幻覚のように聞こえたせいでもあり、また話の最後に、『だから俺とユキトは運命なんだよ!』という余計な一言をつけていたせいでもある。
 誰もがミチルをベータだと思っていた。アルファほど才能に恵まれているわけでも、格好よくもない。が、オメガとしてアルファの熱烈な求愛を受ける姿も想像つかない。
 単行本版『ドンパレイド』を最後のページまで読むと、ユキトは伸びをして立ち上がった。

「じゃあ帰るわ」
「まだいいだろ」
「お前も多少は勉強せえや」

 リュックを背負いゆらゆらと歩き出すユキトのあとを、ミチルは不承不承ついていく。鉄階段をのぼり、ミチルは右の、ユキトは左のドアを開ける。

「また明日」

 家にあげてよ、という言葉を飲み込んでミチルはにっと笑った。ユキトは有数の進学校に通っており、ひとたび家に帰ればトマト型のタイマーをセットして勉強、勉強、勉強の息詰まる時間を送る。そこにミチルが入る隙間はない。
 ん、という曖昧な返事が聞こえた。ミチルはその答えで勘弁してやることにした。

「ただいまぁ」

 誰もいない部屋に向かって、かまわずミチルはいつもの大声を出した。物で溢れかえった部屋に声が跳ね返る。買い置きのトイレットペーパー、回収に間に合わなかったごみ袋、そのほかいろいろ。
 両親は忙しいうえに掃除が不得意だ。だが散らかった部屋がミチルに違和感を与えることはない。小さなころから見慣れてきたし、物が少ない部屋よりは寂しくない。
 ということはつまり、ミチルも掃除をしない。

「障害物発見、排除します、らーららー」

 BGMを歌いながらごみ袋を足先で蹴とばし、玄関に道筋をつくる。功績に満足すると、ミチルはリビングに作られた『子ども部屋』に入った。ちゃんとした部屋ではなく、間仕切りの中に勉強机を置いた雑なつくりである。
 学生服から着替えもせず、机に脚を載せてゲームを始める。両親が帰ってくるのは深夜だから油断していた。寂しさを紛らわすように音量をめいっぱい上げ、モンスターと冒険の世界に入っていく。



「お前さぁ、このままじゃダメじゃね?」

 ある午後、ユキトは『ドンパレイド』を読みながら言った。

「成績落ちてるって聞いたけど? どうせ怠けてんだろ」
「……ユキトに貰ってもらうからいいんじゃねえかなー」

 図星だったミチルは小声になる。
 ユキトはため息をつき、スマートフォンをベンチに下ろした。

「俺もずっと高校生じゃねえから。大学受験が始まったらお子様のお相手どころじゃない。お前には自活してもらわないとなんないの」
「そんなの先じゃん」
「バカ、あっという間だよ」

 ミチルは少し居心地が悪くなった。ユキトに構ってもらえなくなる未来はあまり想像したくない。

「そうそう、聖フィアナの子、かわいくない? ブレザーのおかげかな。チェックのタイに百合の校章、アルファはああいうのに弱いんだよねぇ」

 ユキトはわざとらしく言った。聖フィアナ学園大学付属高校は全寮制のオメガ男子校で、共学の進学校には偏差値が及ばないものの、進学校として名が通っていた。
 ミチルは顔をしかめた。

「何それ。好きな人できたの」
「いや? ミチルもさぁ、あのブレザー着たら見違えるかもって思っただけ。俺、うっかり惚れちゃったりして」

 ミチルは顔を輝かせた。

「マジ? 俺、来年そこ受ける」
「ええ? あそこむずいよ? お前なんかで行けんの?」

 ユキトは疑うように片方の眉を上げた。

「行けるかじゃねえ、行くんだ」
「おー、がんばれー、応援してるぞー」

 ミチルはヒーローのように頷き、自宅へ駆け戻っていく。
 ユキトは自分の仕事に満足した様子でスマートフォンを取り上げた。ミチルのだらけ具合を心配した母親から、ユキトはメッセージで相談を受けていたのである。聖フィアナへの進学も母親の希望だった。

「あんな汚え部屋にいるよりは寮の方がずっとマシだろうしな……それに……」

 ユキトはぼそりとつぶやいた。
 それに、あの鉄壁の聖フィアナにいるかぎり、アルファの性欲からも守られる。
 ミチルの両親はいそがしすぎて性教育どころではなさそうだ。ミチルのような無知なオメガが本格的に発情期を迎えたら、アルファの餌食にしかならない。それを自己責任だと突き放せるほど、ユキトは冷酷にはなれなかった。


 冷酷になれたらよかったかもしれない。ユキトはいつものベンチに座り、虚無の表情を浮かべていた。

「ねえねえどうしたの」

 ミチルは横から顔を覗きこんでくる。

「え? あんな無責任なアドバイスしなきゃよかったなーって」

 マイナスからのスタートは巻き返すのに倍の苦労が必要だった。応用を解くにも基礎ができていない。
 そんなミチルが頼った先はもちろん、ユキトだった。ユキトのひとときのリラックスタイムはミチルからの質問責めで潰れるようになった。

「俺、絶対あの制服着てみせる。だから協力してよ」

 ミチルはきらきらとした目で自習用のノートを構えている。
 言い出しっぺの男は長いため息をついた。

「で、どこわかんねえの」
「分数の割り算なんだけどぉ」
「小学校で習うとこですね。あのさ、今度から塾行かない? お前みたいなタイプは独学より楽だよ。おばさんに言っといてやろっか」

 ユキトは作り笑いを浮かべた。ミチルは下を向いて足先を揺らした。

「ユキトに会えなくなるからぁ……」 

 思い切り寂しげな声だった。

「……そうですか」

 ユキトはまた虚無の表情に戻った。
 努力が実ったか、それともユキトのマンツーマン授業のおかげか、ミチルの成績はしだいに上向いた。ミチルはしぶしぶ週に二度の塾通いを始めるようになり、春期講習と夏期講習をこなしたころには、聖フィアナは夢物語から現実的な志望校に変わっていた。 


 春風がアパート前の桜を散らしていく。

「ユキト! 制服できた!」

 チェックのタイにブレザー、聖フィアナ学園大学付属高校と印字された百合の校章。引き取ったばかりの制服に身を包み、ミチルはベンチに駆け寄った。

「どう? ねえ、惚れそう?」
「まあ、なんだ……衣装が変わってもお前はお前だな……」

 ユキトは居心地悪そうに頬を掻くだけだ。ミチルは不満げな顔で隣に座った。

「それはねえだろ、こんな頑張ったんだぞ」
「合格したのは半分以上俺のご指導のおかげだろ……頑張ったのは認めるけど、な」

 大好きな手が、いつもより少しだけ丁寧に髪を撫でていく。ミチルはほんのりと機嫌を直した。
 ユキトは伸びをすると、立ち上がった。

「じゃあもう行くわ」
「え、もう?」

 ミチルはユキトを見上げた。

「今の俺の一分一秒には将来がかかってんの」

 ユキトはぼそりと言った。大学受験の年だった。

「わざわざ時間空けてお前の帰りを待っててやったんだからありがたく思えー……って、何すんだ、苦しい、首が締まる」

 ミチルはくしゃくしゃの顔をして、力いっぱいユキトのフードを引っ張っていた。

「写真ぐらい、いいだろ」
「えー、写真? 俺が撮るの?」
「俺と撮るの!」

 無理やりユキトを自分のそばに引っ張って、強引にスマートフォンを構える。風が吹きつける。アルファの匂いが花びらとともに散っていく。フラッシュが光る。
 ミチルが手を離すと、ユキトは呆れ顔でパーカーの首元を直した。

「何すんだよ。絶対変な顔で撮れてただろ、今の」

 ミチルは画面を見つめ、俯いている。

「入学説明会行ったらさ、現実感湧いたんだよ。寮暮らしになるから、ユキトと会えなくなるって」
「気づくの遅くね?」

 ユキトは呆れた声を出した。ミチルは顔を上げ、ユキトをにらんだ。目のふちには涙がじわりと滲んでいた。

「うっさい! せっかく受かったのに別に好きになってくれねえし、これじゃ俺の努力無駄じゃん! ユキトのうそつき!」
「だってお互い今はダメだろ。三年間いい子で通えたら考えよう、な?」

 なだめすかすような笑顔も、今のミチルには通用しなかった。

「そんなの信じられねえよ、また人参だけぶら下げて、後からなかったことにすんだろ」
「妙に知恵がついちゃって」

 ユキトはため息をつくと、顔をすいっと寄せた。なんだなんだ、とミチルが目を瞬かせているうちに、薄い唇がミチルの耳に軽く触れて離れた。

「な……っ」

 ぼん、と熱が顔ではじけた。ミチルは真っ赤な耳を抑えた。知らない種類の、ざわざわとした甘い感覚がミチルの脊椎をおりていく。
 ユキトはふっと小さく笑った。

「やっぱまだガキじゃん。お前につがいなんて早い早い。まあ、記念にとっときなー」

 ユキトはふらりとアパートの玄関に消えていく。
ミチルはひとりベンチに取り残され、呆然としている。動けなかった。若いオメガの匂いが桜色の風に淡く混じっていく。



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