塩味アルファが甘くなるまで②




二 アルファと接触禁止だなんて




 ミチルは目をくらくらさせていた。
 講堂に同じ制服を着た生徒がずらりと並んでいる。後列が上級生、前列がミチルを含めた新入生だ。後方には保護者席があるが、保護者であってもアルファは講堂への入場を禁じられている。それも無理はなかった。換気性の悪いホールにはオメガの匂いがむっと立ち込めていた。ここまで濃いと百貨店の化粧品売り場のようだ。
 まだ最初の発情期を迎える前でミチル自身の匂いは薄い。両親はどちらもベータだ。中学の同級生にもオメガがふたりしかいなかった。こんなにたくさんのオメガが集まっている状況で匂いを嗅いだのは初めてだった。
 ピアノが鳴り、オメガ男子たちの柔らかな声がホールを包んだ。聖歌だ。中には高校生とは思えない、天使のような高音を響かせる生徒もいる。
 声変わりしたばかりのだみ声がこのハーモニーに混ざったら、ぶち壊しにならないだろうか。ミチルは自分の場違いさに居心地が悪くなった。
 閉会間際、ブラザーが司会者のもとへ駆けていき、何かささやいた。司会は頷いた。

「以上を持ちまして閉会とさせていただきます。えー、本来でしたらここで解散とさせていただくのですが、急遽、生活指導教諭よりお話がございます。保護者の方もそのままお待ちください」

 保護者や上級生がざわつきはじめた。新入生たちはミチルを含め、雰囲気に呑まれたまま不安げに固まっている。
 校長を含めて教員は非聖職者が多いが、生活指導の先生は神父のようだった。彼は憂い顔で登壇した。詰襟の黒い服から覗く手や首は細く、オメガだろうとわかる。

「生活指導の谷中(やなか)です。皆様に非常に残念なお知らせがございます。本校二年生の生徒が春休み期間中に他校の生徒、……アルファですが、不適切な関係を結びました。個人情報のため詳細は控えますが、本校にはふさわしくない行為であったと認め、本生徒は退学処分といたしました」

 ざわめきが大きくなった。

「このたびの管理不行き届きを心よりお詫びいたします。また再発防止のため、理事会との相談の結果、校則のさらなる強化を行うこととなりました」

 校則の強化と聞いた途端、生徒たちは息をひそめた。教諭の声が高らかに響いた。

「休み期間中であっても、一親等以内のご家族以外のアルファと一対一で会うことは禁止いたします。一緒に目撃された場合は厳しい処分とします。場合によっては退学もあるとお考え下さい。以上です」

 司会にマイクを渡し、彼は壇を降りた。

「皆様、長らくの間ありがとうございました。それでは保護者席の方から、係員の指示に従ってご退席ください」

 堰を切ったように皆が話し始めた。どこからか「妊娠したらしいよ」という声が聞こえた。
 呆然としていたミチルの頭は、ようやくのろのろと動き始めた。
 アルファと一対一で会えない。どういうことだろう。ミチルの脳裏に桜が舞っている。ユキトはいつものようにベンチに座り、漫画を読んでいる。隣にはミチル。
 ミチルは目を見開いた。そうだ。アルファのユキトとはもう、あんな風に会うことができない。あんな優しい時間を過ごすことはこれから三年間、二度とない――
 ミチルは突然息苦しくなった。オメガ、オメガ、オメガの匂い。どこにも逃げ場がない。

「大丈夫? 過呼吸になってるよ」

 隣に座っていたおとなしそうなメガネの生徒がミチルの背中をさすった。

「オメガの匂いに酔っちゃって……」

 ミチルはなんとか言い訳した。

「保健室、行く? 予定だと、たぶんこのあと寮に行くから、もうすぐ休めるとは思うけど」

 ミチルは首をゆっくり振った。寮。今のミチルにとっては「牢屋」と言われたのと同じだった。


 担任の先導で寮に向かう。担任は中年のベータ女性だが、寮の前庭に着いたところで、到着を待っていた先ほどの生活指導に後を任せて去った。生活指導は憂い顔で新入生を建物に案内した。もしかしたらもともとこういう顔なのかもしれない。
 寮は昭和前期に建てられた雰囲気の古い建物で、ところどころ外壁がひびわれ、蔦が絡んでいる。下駄箱に靴を入れると集会室に集められる。三年生の、いかにも融通の利かない顔つきをした寮長が寮生活の心得を説明した。アルファはもちろん、ベータも寮に入れてはならないこと。掃除は下級生の仕事だということ。夕食と風呂、消灯の時間など。説明を聞き終わったミチルの頭はふたたびふらふらになっていた。思い切り牢屋じゃねえか。
 そのあと、生活指導の指示で部屋割りが決まった。といっても入学式同様、名前順の振り分けだ。

「三〇四号室。加藤(かとう)さん」
「はい」

 ミチルは普通に返事をしたつもりだったが、どこからかくすりと笑い声が聞こえた。調子はずれのラッパに似たこの声が問題なのだろうか。

「木下(きのした)さん」
「あ、はい」

 さっき声をかけてくれたメガネの生徒だった。ミチルは少しほっとした。
 部屋に着くと、がらんとした中に二段ベッドが二つ置いてある。カーテンもない。物でいっぱいだった自宅とのあまりの違いに、ミチルは急激に寂しくなる。人がそばにいるのに孤独を感じることがあることを、ミチルは初めて知った。
 ミチルはいそいでリュックを漁った。ほんのりと温かい機械が手に触れる。外との唯一の繋がりをミチルは大切に両手で包む。

「え、スマホ持ってきちゃったの」

 木下は小声で言った。ミチルはぱちぱちと瞬きした。

「え、いけないの」
「説明会でも言ってたよ……黙っててあげるから隠して。ね?」

 ミチルはそろそろとリュックの中に端末を戻した。だがこれくらいで諦めるミチルではない。光が漏れないように気をつけながら、リュックの中で画面を弄る。
 どうしてもユキトに連絡がしたかった。

『校則が変わって、お休みでもアルファに会っちゃダメだって スマホもほんとはダメ こんなとこ来なきゃよかった』

「ベルの音が聞こえる。早くしまいな!」

 送信ボタンを押した瞬間、木下がささやいた。ミチルがリュックのジッパーを閉じたと同時に、若いブラザーがドアを開け、顔を出した。

「時間です。食堂に集まってください」

 食堂の壁には十字架にかけられ、手から血を流したイエス・キリストの宗教画がかけてあり、お世辞にも明るい雰囲気とは言えない。当番による配膳が済み、長テーブルに全員がつく。
 食べる前にはお祈りがあった。初めてだったミチルは面食らったが、中学から聖フィアナ学園に通っていた生徒たちは当たり前のように十字を切った。

「天にまします我らの父よ……」

 ミチルもテーブル上のしおりをカンニングしながら祈りを行った。思春期独特の気恥ずかしさはあったが、この食堂ではどう考えても祈っていない方が目立ってしまう。それに清楚で敬虔なオメガの役を演じているようで少し面白い。
 食事のあとは風呂、そして風呂掃除当番が待っていた。掃除は苦手だが順応するしかない。広い風呂場を同室の四人がかりで磨いて、部屋に戻る。ミチルはこっそりと返信を確認した。

『ほんと言うと、お前がオメガだってわかってからお前と会うのは親にいい顔されてなくてさ 実はちょうどよかったかもしんない 俺がいなくてももう寂しくないだろ せっかく努力して合格したんだしそこで頑張んな』

 ミチルは唇を震わせた。

『寂しいに決まってんだろ、バカユキト!!!!!!!!』 

 ビックリマークと同じぐらいの数のスタンプを送り付け、ミチルは憤然とスマートフォンをしまった。

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