愛しの距離ナシ君(全年齢版)




「よーくんのヒーローになったら、よーくんに絶対捨てられないって、都合のいいこと思ったわけ」
「俺を親友って言ってくれたの、お前だけなんだ」
距離感が近すぎる美形×内心がにぎやかな天然パーマ陰キャの大学生BL。
受けといっしょだとなぜか眠れる不眠症の攻めが、DV親から受けをかくまい、同居するお話。
攻めをめぐる当て馬要素あり。
コメディと重めのサブストーリーが入り混じる青春テイスト。

成人向け描写を追加したものをKindleにて発売中です




1距離ナシとの邂逅

「寝てたでしょ」

男はそう言って、俺の隣に座る。
五人掛けのベンチの右三つを空け、それどころか等間隔に並ぶクッションの位置すら無視して、俺の横にぴったりと身体を寄せている。

「いや、寝ては」

俺は目をぱちぱちと瞬きさせた。
一拍置いて、距離感がおかしいことに気づく。
あまりにも近い。近すぎる。
俺はあわてて上体を引いた。
男は綺麗な顔で頬杖をつき、悠然と笑っている。

「嘘」

男――――あとで杉沢朔(すぎさわ さく)という名前だと知った――――は、まっさらな俺のルーズリーフを指さす。
授業内容を取りこぼすと容易に単位を落とすのが法学部のシビアなところである。
中には筆記用具も持たない猛者もいる。が、普通の学生は真似するべきでない。
そういう猛者は仲間内で情報を融通しあい、なんとかしているらしい。
翻って、俺にはその仲間がいない。
仲間の上位存在である友達も、当然いない。
情報なんて手に入らないのが当たり前だ。
したがって必死に授業に出席し、必死に瞼を開いている必要がある。
しかし恐らく、ほかのどの学部より授業は眠い。
俺の名誉に賭けて言うが、寝てはいない。たぶん。
意識が飛んでいただけだと思う。たぶん。

「俺ねー優等生なの」
「……へえ」

否定するだけの証拠はない。
俺はぼんやりとした頭で、気の抜けた返事をした。

「レジュメにメモったやつ、見せてあげてもいいんだけど」

授業内容が自分から歩いてきた。
俺にとってはありがたい話でしかないが、俺は若干躊躇する。
薄い体つき、ピアス、ツーブロック、重ための前髪。
雰囲気は若干暗めながら、こうして話しかけてきたということは、この男の属性はおそらくコミュニケーション強者である。
俺にとっては、外国人がいきなり英語で話しかけてきたようなものだ。

「けど?」

英語で言ったらBut, what ? になるんだろうか。

「見せてくださいって言ってみて」

杉沢は綺麗な顔をして、にやにやと俺を見ている。
この男、異様に顔が近い。

「……見せて、ください」

俺は小声で言った。こう見えてオウム返しは得意だ。

「優等生ごっこって初めてやってみたけど結構楽しいねこれ」

少し身体を離すと、男は笑った。

(うざ……)

貸す気がないなら放っておいてほしい。

「そんな顔するなら見せないよ?」

顔に出ていたようだ。

「すいません」

自分のレジュメを俺の前に置き、杉沢は俺の胸に下がった学生証をちらりと見る。

「よーくんってさぁ……」

俺の名は志摩陽介(しま ようすけ)という。根暗なのに陽介である。
十八年間生きてきた人生の中で、よーくんなどという愛称で俺を呼ぶ人間は、初対面の杉沢が初めてだ。保育園の頃ですら陽介くん呼びだった。
杉沢は後ろの机に寄りかかる。伸びた腕はなんとなく俺の肩回りに位置している。
そしてなぜか俺の耳元まで顔を寄せ、ささやいた。

「……押しに弱いね」

オウム返しが得意なだけである。

――――それからなぜか杉沢は俺につきまとうようになった。

杉沢がつきまとうということは、普段杉沢にくっついている友人ABC以下略もついてくるということであり、俺の回りは近年まれに見るほど人口密度が上がった。

「この前三人で飯行ったんだけどさー。こいつお母さんから電話入ってぇ、しかもおばさん無駄に声でけーから言ってること全部聞こえて」
「おいやめろ」
「『もしもしぃ、たつのりちゃん?どうして連絡しないのママ待ってたのに?』」
「おま、しょーもねえ嘘こくなよ!?」

友人Aがすっとんきょうな声でおばさんの真似をし、たつのりちゃんらしき男が声を張り上げている。
一同は笑っている。
いつものラウンジのいつもの空きコマの光景だが、人だかりを内側から見るのは大学に入ってこの方、初めてだ。
俺は空気である。
ポジション的には真ん中にいても空気になれるのだ。特技と言っていいかもしれない。
なぜ真ん中にいるかというと、俺の隣を指定席にした杉沢が半笑いしながら、ぐだっと俺の肩に顎を乗せているからである。

「おっも……」
「あーそいつ昔から距離感バグってるから」

友人Dぐらいの奴が俺のぼやきを聞きとめて言った。
空気でいられなくなった俺は内心慌てた。
空気が喋ってごめん。

「そうやってすぐくっつくのやめとけよ。この前知らねえ奴がお前のことゲイだと思ってたぞ」

友人Dは忠告する。俺は露骨に肩をびくっとさせた。が、杉沢は意に介さない。

「思わせとけばぁ?」

顎を乗せたまま、上顎の開閉で喋っている。
杉沢が喋るたび骨が刺さって痛いのだが、それよりも。

「……お前、男が好き、なの……?」

俺は手元の携帯端末から顔を上げ、こわごわ言った。
漫画ならシーンと陳腐な擬音が書いてありそうな沈黙。

「ぷっ」

ひとりが噴き出したのを合図に、またドッという陳腐な擬音が書いてありそうな勢いで一斉に笑われた。

「ほら朔~、お前の『よーくん』からもそう思われてるぞ」
「離してやれよ」
「『セクハラやめてくださいぃ』」

友人Aが胸を押さえてくねくねしている。それは俺の真似のつもりか。

「よーくん、ゲイ嫌いなの?」

杉沢はのんびり俺に聞いた。

「……や、別に、嫌いってわけじゃ……」

ない、とは思う。
正確に言えば、嫌いかどうか考えたこともなかった。
そして俺は事前のシミュレーションにない事柄について喋るのがきわめて不得意である。

「なら別によくね?」

杉沢は今度ははっきりとした意思をもって、口ごもる俺に抱きついた。
後ろから腕をクロスさせて、すべすべとした頬を寄せてくる。
杉沢の友人たちはますますはしゃいだ。

「うわガチじゃん」
「もうお前ら付き合っちゃえよ」
「朔お前趣味わっるっ」

俺に失礼な奴がひとりいた気がする。

「やめてやれって。お前彼女いたろ、同時に三人も」

友人Dぐらいの奴(さっきと同一人物だったと思う)が杉沢をたしなめる。

「いや、さんにん、って……」

俺はごくりと唾を飲んだ。いまだ童貞の俺とは別世界の人間だ。それが俺に抱きついている。

「前の彼女と付き合ったときー、絶対別れないっつって、元カノが二人がんばっちゃってただけ。懲りたから今は誰とも付き合ってない」

十分倫理観が緩い気がする。

「……そう、なんだ」

それ以外のコメントが思いつかなかった。
俺はぎこちなく俯くと、ゲームのイベントシナリオをスキップする作業に戻った。
男の腕で身体をすっぽりと覆われ、周囲に笑いものにされているこの状況があまりに異様で、何かで気を紛らわせていたかったのである。
杉沢は抱きついたまま俺のスマートフォンをのぞき込んでいる。

「それ、面白いの」
「……今回はちょっと微妙……?」
「ふーん」

飽きた様子で彼は俺を離した。
俺はまた空気に戻った。


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