愛しの距離ナシ君(全年齢版)16



16 ヘタレとたらことペンギンと



タクシーが駐車場に滑り込む。
せめてこのぐらいは払わせてくれ、と杉沢に懇願して、俺は運賃を支払った。
ばんと音を立ててドアが閉まる。玄関に向かおうと顔を上げると、

「駿、来てくれたんだ」
「話聞いて即来た」

団藤が入り口で待っていた。
心配で顔が青ざめている。

「大丈夫かよその怪我」
「平気。ちょっと痛いけど」
「警察が来たって大学中で騒ぎになってるぞ」
「だろうねー」

団藤は声を落として、杉沢に何かささやく。
俺の方を見ているから、父のことだとすぐにわかった。

「そうだよ。でもよーくんは何も悪くなかった」

杉沢は静かに言った。
団藤は声を落とせなくなっていた。

「……何言ってんだよ。要は親子喧嘩に巻き込まれたんだろ」
「事情があったんだよ、駿」

団藤は泣きそうな顔をする。

「また俺は蚊帳の外か」

俺はいたたまれなくなった。

「団藤……その、説明、するよ……団藤には、知る権利があると思うから」

杉沢は俺の方を振り向いて、頷いた。

「じゃ、とりあえず上に上がろっか。ここじゃ冷えるし」

エレベーターに乗って、杉沢の部屋に着く。
テーブルにはふたつしか椅子がないので、俺はベッドに座った。

「で、あいつの事情ってなんだよ」

団藤は俺ではなく杉沢に聞いた。
杉沢は姉のことを含め、丁寧に説明してくれた。

「……朔、お前の親父さんはなんて言ってる」
「わかってくれてるよ。このままここに住んでていいってさ」
「お人よしだな。志摩の親父、捕まってないんだろ。尾行されたらここもやばいぞ」
「オートロックも防犯カメラもあるし、大丈夫だよ」
「俺は反対だ。すでにお前に迷惑かけたんだ。こいつはここから引っ越すべきだろ」

団藤の言うことはいちいちもっともで、俺はどんどんと小さくなる。

「駿さー、よーくんには結構あたりが強いよね。俺のことは甘やかすくせに」

団藤の頭の上に、『図星』という字が見える。錯覚だが。
こんなにわかりやすいのに、どうして杉沢は何も気づかないんだろう。

「今よーくんを追い出して何かあったら、俺……」
「……」

団藤は明らかに言葉に詰まっている。
やはり杉沢が言う通り、根は優しいのである。
いたたまれなくなって、俺は口を開いた。

「お、俺なら、大丈夫、だから……」
「よーくん。決まった話は蒸し返さない」

叱られて、俺はまた空気に戻るべく口をつぐんだ。

「決めた。俺もしばらくここに泊まる」

腕組みを解いて、団藤は突然宣言した。

「駿、それは」
「お前は体力ゼロだし、志摩も貧弱すぎて襲われたとき何もできねえだろ。志摩の親父が見つかるまでのボディガードだ」
「……駿のことは巻き込めないよ」

杉沢は心細そうにつぶやいた。

「なんでだよ。お前が志摩に巻き込まれるのはよくて俺はダメなのか」
「家族が心配するでしょ」
「お前だって親父さんに心配かけてんだろうが」

言い合いになりそうな気配を察して、俺はもう一度空気から実体に戻ることにした。

「巻き込みたくないのはもちろん、そうだけど……」

ふたりがこちらを見るので、俺の声はどんどん小さくなっていく。

「正直俺は、団藤がいてくれたら心強い、よ……」
「志摩」
「よーくん」
「俺だけじゃ、たぶん杉沢を守れないから……」

団藤の気持ちを汲んだのもあるが、単純に本心だった。
悔しいが、父の腕力に対抗できていたなら今の俺にはなっていない。
もちろん全力を尽くすつもりではある。
それでも杉沢を守れる可能性は、団藤がいてくれた方が断然、上がる。

「……志摩もこう言ってるぞ」

杉沢はため息をついた。

「俺は大丈夫だと思うけどな。まあ、よーくんがいてほしいんじゃ、話は決まりだね。でも家族の許可がなきゃダメだよ」

団藤は黙ってスマホを取り出し、電話をかけた。

「もしもし母さん。駿だけど……」

俺の友達が親からDVを受けていて、朔がそれに巻き込まれた。そう団藤は説明した。

(友達……)

説明するのに楽だから、そう言っただけかもしれない。
それでも団藤に敵視されていないことに、胸がじんとする。

(やっぱりいいやつじゃん)

「うん。悪い、心配かけて。それじゃ、そういうことで」

団藤は電話を切った。

「……話はついた。荷物、持ってくる」
「ごめん、団藤。巻き込んで……」
「お前のためじゃねえから心配すんなって」

言い方はきついが、俺に気を遣わせないようにしてくれているのがわかる。

「そうだ駿、どこで寝る? よーくんの布団使う?」

きょとんとしている団藤の横で、俺は激しく首を横に振った。

「なんでだよ。志摩が寝るとこなくなるだろ」

俺はこくこくと激しく頷き、同意した。
団藤の前で抱き枕にされるのだけはごめんである。

団藤が荷物を取りに行ってしまってから、俺は杉沢に謝った。

「ごめん、団藤を巻き込むの、嫌だったよね……」
「気にしないで。確かに人数いた方が安心だし。駿のことは心配だけど……俺も同じことしてるからあんまり人のこと言えないし? てか三人で住むのすげえ楽しそうじゃん」
「ごめん……」
「だから謝んないでって。三人で今晩何しよっか。スマブラ? 」
「お前夜はほとんど寝てるだろ……団藤が来たら倍寝るんじゃないか? 」
「はは、かもねー。あ、そうだ」

杉沢は思いついた様子で、尻ポケットからスマホを取り出した。

「忘れてた、みんなにライン返さなきゃ」
「友達が多いと大変だね……」

とはいえ、俺にも連絡しなくてはいけない相手はいる。姉と母だ。
母には電話した。母のところにも、すでに警察が来ていたらしかった。

『もうとっくに別れたから何もわかんないのにね』
 
あっけらかんとしているところが母らしい。

『ほんと、別れて正解。杉沢君って子は気の毒ね。お大事にって伝えておいて』

はい、はいと答えて電話を切る。
姉へはメッセージを送った。
父がとうとう事件を起こしたこと、五日間部屋を世話してくれた杉沢が殴られたこと。姉の住所を警察に教えたこと。追いつめられた父が姉のところにも来るかもしれないから気を付けた方がいいこと。

『わかった気を付ける 就職先にも連絡しとく』

俺はそれでようやく思い出して、杉沢のお父さんから名刺を預かっていることを伝えた。

『今はそれどころじゃないだろうけど、落ち着いたら頼ってみたら』
『うん マジでありがたい すごい人だったんだね杉沢君のお父さん』
『みたいだね じゃあ何かあったら連絡して とにかく気をつけて』
『わかった』

姉とのやり取りを終えて、俺は長いため息をついた。
杉沢のお父さんと比べて、俺が姉にしてあげられることはあまりに少ない。
いや、最初から全然住む世界が違う以上、比べたところで仕方がないのだが。

一時間ほどして、オートロックの呼び出し音が鳴った。

「あれ、駿、これだけ?」

団藤の荷物運びを手伝おうと一階に下りたが、荷物は思ったより少なかった。

「実家に車返すのめんどいから、軽いもんだけ持って電車で来た。これでもちゃんと寝袋持参だからなー、どっかの誰かと違って」

半分冗談、半分本気で団藤は俺をにらんだ。
俺は苦笑いした。だから俺のせいではないと言っているのに。

小さいながらも団藤の荷物が増え、部屋はますます秩序を失った。
飯を食うのに席がひとつ足りないのではないかという心配は、団藤がキャンプ用の椅子を持ってきたことで杞憂に終わった。
部屋はより一層、秩序を失った。

「遊びたかったけど眠くてダメ……ごめん寝るわ」

杉沢は俺や団藤が風呂から上がったタイミングでマットレスに横になり、すぐさま寝息を立て始めた。
電気もつけっぱなしで眠りこける杉沢を目の当たりにし、団藤は声を潜めた。

「元気にしてみせてたけど、やっぱ怪我、つらかったんだな」
「うん……」

痛々しい杉沢の顔を見ながら、俺は同意した。

「こんな時間から寝るなんて……」
「……ごめん、それはいつも」

俺は思わず訂正してしまった。団藤はぎょっとしている。

「えっ、こいついつもこうなん? 」
「そうだよ」

俺は布団を敷きながら答えた。

「寝すぎじゃね? 」
「うん」

団藤はしばらく杉沢をまじまじと見つめていた。

「……これでお前はなんもしないのか? 」
「するわけないだろ。友達だぞ」

団藤はへえ、と気の抜けた声を出した。

「お前がヘタレでよかったわ……」

団藤も寝袋を用意し始めた。

(そうだ)

ヘタレはふと思い立って、布団に手をついて腕立て伏せを始めた。

「ぐぬ、ぬ……」

十回目で腕が震えだし、十一回目で限界を感じ、十二回目で俺はばったりと布団に突っ伏した。
やはりヘタレである。

「何してんの」

団藤は呆れている。
ヘタレはぜえぜえしながら答えた。

「いや、俺も戦力になりたくて……筋トレ……」
「……意気込みは買うが、先は長そうだな」

団藤はぼそっとつぶやいた。

朝になる。俺はアラームを消して起き上がる。
左右を見ると、杉沢も団藤もまだ寝ている。
とりあえず、同じ高さにいる奴から起こすことにした。

「起きて。朝だから」

巨大なたらこのようになって寝袋で寝ている団藤をゆさぶる。
たらこは不機嫌そうに薄目を開け、また眠りに落ちていく。
どうやら朝弱い族がまたひとり増えたようである。

「起きてってば。……杉沢から起こそうかな」

俺がひとりごとを言うと、たらこはようやくもぞもぞと起き出した。

「おはよう、団藤」
「うるせえ……」

寝袋から脱出した団藤は目元に隈をつくっていた。
寝袋の寝心地がよくなかったのかもしれない。

「寝られた? えっと、明日は俺がそっち、使おうか……」
「お前の布団でなんか寝たくねえよ」

ならば団藤が杉沢のベッドで眠り、杉沢が俺の布団で眠り、俺が寝袋を使えば解決するのではないか、と一瞬思ったが、口には出さなかった。
なんとなくまた団藤を怒らせそうだと思ったからだ。
団藤は洗面所に向かった。
次は杉沢を起こす番だ。

「杉沢、起きられる? 団藤も起きたよ」
「んー」
「大丈夫? 痛いんなら無理しなくていいから……今日、休む?」
「へいき、へいき……」

杉沢は俺の顔を見てへらっと笑う。

「今日のよーくん、お母さんみたい」

思いもよらないものにたとえられて、俺はどきりとした。

(それって)

杉沢が言う『お母さん』とは、世間一般のお母さんのことなんだろうか。
それとも、今昏睡状態にあるという、杉沢のお母さんのことなんだろうか――

「今朝のコーヒー、ミルク入れて? 」

甘えるように杉沢が言った。

「う、うん……」

俺は顔が赤くなるのを感じて目を逸らした。
杉沢は起き上がって、うーんと伸びをすると、ベッドを下りた。
団藤と杉沢が楽しそうに話す声を聞きながら、俺はせっせとインスタントコーヒーを溶いた。
人見知りするタイミングを逃したせいもあって、団藤のいる生活にはもう慣れてしまった感がある。
トーストとソーセージだけの朝ごはん(俺製)を三人で食べる。

「そういや、大学中で騒ぎになってるって言ってたねー」
「ああ」

団藤と杉沢が話している。
急に俺は食欲をなくした。ほかの学生に注目されるのは元来、大の苦手だ。
それは置いておいても、そもそも犯人の息子が出席して大丈夫なものだろうか。

「ふふ、こんな顔で出席したらますます騒がれそう」
「休むか?」
「ううん? 行くよ? 面白そうだから」
「お前なぁ」

団藤はあきれ果てている。


着替えをして、三人そろって大学に向かう。
噂になっているというのは本当らしく、駅についたあたりから、学生たちが俺たちの方を見てひそひそしている。

「杉沢、怪我どう?」
「殴られたんだって?」

杉沢と面識がある者は杉沢に直接聞いてくる。

「うん大丈夫ー」

適当に受け流しながら杉沢は歩いていく。
団藤は後ろでにらみをきかせている。上背のある男がにらむので、虫よけ効果は抜群のようだ。
先鋒、杉沢。ディフェンダー、団藤。ふたりが防壁になってくれているおかげか、犯人の息子である俺が面と向かって誰かに責められることはなかった。
俺は心から感謝しながらふたりの後ろを歩いた。
それでも、学生たちのチクチクとした視線は俺に容赦なく突き刺さる。

(なんであいつが殴られたやつと一緒に歩いてるんだよ)
(父親の責任は息子の責任でしょ)
(そもそも騒ぎの出元ってあいつだろ?出席してていいのかよ)

学生たちがひそひそ話をするたび、俺の脳は勝手にアフレコを始めてしまう。
彼らの口の動きからいって、あながち俺の思い過ごしとも言えなさそうだった。

「よーくん元気ないねー」

歩きながら、杉沢は俺の方を振り向いた。

「え? いや、そんなことないよ……」

俺はあわてて笑顔をつくった。

「嘘」

杉沢は歩みを遅くすると、急に俺と肩を組んだ____というより、女の子にするみたいに俺の肩を抱いた。

「おい朔」

まわりを威圧していた団藤の視線がぐるんとこっちを向いた。団藤ビーム、こわい。

「す、杉沢、急にどうしたの……」
「ん? 仲良しアピ」

確かに、ひそひそしていた生徒たちがぽかんとするのが見える。
どうやら杉沢に気を遣わせてしまったらしい。

「だ、大丈夫だよ、そんなことしなくて」
「いいの。俺がしたいの」

杉沢はふざけて俺に頬を寄せた。
見物人たちがドン引きするのがわかる。
団藤のまわりに、いつかの黒いオーラが立ち上る、錯覚をする。

(俺の様子に気づいてくれたのはありがたいけど……)

できたら団藤の方も気づいてあげてほしい、と俺は思った。

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