愛しの距離ナシ君(全年齢版)17



17 失恋



団藤が威圧で杉沢をガードし、杉沢がやや過剰なボディタッチで俺をガードする構造は、俺たちが大学に着いてからも続いた。
これで俺が団藤をガードできたら、三すくみでちょうどいい。だがヘタレではどうすることもできないし、団藤にその必要もなさそうだ。
かといって、俺に杉沢のスキンシップを止めることもできない。止めたところで聞く耳をもってくれないのである。
団藤の機嫌は悪くなる一方だ。
団藤はその行き場のない怒りを目力に変え、見物人に思い切りぶつけている。
団藤ガードの威力はどんどん増していた。
おかげで、だんだん周りの学生の方がこちらから目をそらしてくれるようになった。
ふたりに非常に申し訳なく思いながら、俺は授業を受けた。

午後の授業は刑法だった。法科目の中ではまだわずかに親近感がある方の科目だが、今日の俺はそれ以上に他人事ではない。
犯罪行為そのものを償わせるのか、生じた結果を償わせるのか。
殴ったことの責任をとらせるのか、杉沢が怪我をしたという結果の責任をとらせるのか。
どちらの正義に立ったって、俺の父がしたことは間違っている。
三人そろって家に帰る。
家に着くと、警察の人から連絡が来た。父は無断欠勤を続けていて、まだ行方はわからないそうだ。
正義に背を向けたまま、父はどんどん社会に戻れなくなっていく。


杉沢が飯を用意しようとするのを、団藤と俺のふたりがかりで止めて、俺が台所に立つ。
ふたりにガードしてもらった以上、このぐらいはしないと罰があたる。
団藤は椅子にまたがると、スマホを弄りだした。

「……なにこれ」

団藤がぼそっと言った。

「どうした?」

杉沢は無遠慮に団藤のスマホを覗き込んだ。
対自分だともう慣れてしまっているが、他人に対して杉沢が接触するさまを見ると、やはり近すぎる。
少しもやもやしながら、俺はキャベツを刻んだ。
杉沢がくっつく相手は俺だけではないのに、いつの間にか俺がその位置にいないと苦しくて仕方なくなっている。

「田中のやつ……なんで急に、こんな」

団藤は杉沢にも構わず、放心している。

「ごめん見ちゃって……田中君、いい子だよね」

杉沢は気まずく言って、団藤から離れた。

「それは知ってるけど。こういうこと言ってくるとは思ってなかったから……とりあえず、断るわ」
「断っちゃう? 」

杉沢は残念そうに言った。

「すぐ答えないでさ、ちょっと考えてあげたら?」

団藤の顔が歪む。

「……あいつ、男だぞ」
「古いね駿は」
「お前がおんなじ立場ならどうするんだよ。断るだろ? 」
「相手によるけど、ちゃんと考えるよ」
「田中なら? 」
「田中君が好きなの、俺じゃないもん」

うすうすわかっていたが、やはり田中君が団藤に告白したようだ。
断ると言われている田中君も気の毒だが、団藤だって好きな人とこういう話をするのはつらいだろう。
俺は黙ってキャベツを鍋に入れた。

「ずりいよ、その返し」
「かもねー」

杉沢はへらへらしている。

「じゃあ訊くが、相手が俺なら?」

団藤が静かに言った。
杉沢が珍しくあわてはじめた。

「待って駿、それ、ほんとにずるくね?」
「お互い様だろ。答えろよ」

団藤は杉沢の逃げ道を塞ぐ。
俺の逃げ道もなくなっていく。
俺は息を殺して、杉沢の返事を待った。

「正直、かなり悩むと思う」

杉沢は消えそうな声でつぶやいた。

「……でも俺、好きな人いるから」

団藤も俺も、しばらくその場で固まったまま、何もできなかった。

――この日、なんと三人の男が同時に失恋した。
田中君、団藤、それに俺だ(田中君はまだ失恋を知らないだろうが)。

最初に動いたのは団藤だった。
スマホを乱暴に尻ポケットに突っ込むと、玄関の方へ歩いていく。

「駿?
「……コンビニ行ってくる」

ぶっきらぼうに言って、団藤は部屋を出て行った。
泣きそうな横顔をしていた。

「……よーくん。駿ってもしかして、さ……」

参ったな、と言いながら、杉沢は顔を覆った。
俺は答えなかった。
何かしゃべったら、俺だって泣いてしまいそうだった。生まれて初めて失恋したのだ。
それに、団藤との約束がある。
団藤の恋心が杉沢に伝わってしまった以上、約束を守ることに、もう意味はないのかもしれない。
だが、俺の気持ちの問題として、(便宜的であっても)俺を友達と呼んでくれた男との約束は、最後まで果たしたかった。
涙をこらえながら、袋を逆さにして冷凍餃子を入れる。湯の表面に大きな波が立ったあと、ぐつぐつと煮えていた鍋が静かになった。

キャベツと餃子が煮えすぎで溶け始めたころ、団藤はビニール袋を下げて戻ってきた。

「ダッツ買ってきた。飯のあと食おうかと思って」

なんでもない風に団藤は言った。
だが目の縁は少し赤い。

「い、いいね、鍋のあとのアイス……!」

俺は無理して団藤に合わせた。我ながらひどい演技だと思う。

「いやお前に買ってきたんじゃねえし」

団藤はアイスより冷たく言った。
無理にはしゃいでみせた俺は恥ずかしくなった。また俺は空気を読み違えたんだろうか。

「ありがと、駿。あとでみんなで食べよ」

杉沢も、何も気づかなかったふりをすることにしたようだ。

「……志摩、煮すぎ」
「ごめん」
「ワンタンみたいで旨いじゃん」
「志摩ばっか甘やかすな」

何事もなかったかのように、俺たちは鍋から餃子だったものを救い出した。
ここにいる全員が嘘つきだった。

今夜も杉沢は早々に寝た。
俺は布団を敷くと、懲りもしないで筋トレを始める。
失恋したからといって、ほかの状況が変わったわけではない。父はまだ行方が分からないし、俺は貧弱なままだ。
そもそも俺の恋もどきが叶うなんて、初めから思ってはいなかった。
友人として杉沢を守る。
胸が張り裂けて四方八方に飛び散りそうに痛くても、その決意は変わらない。
そこで、腹筋。

「う゛……ダメだッ……」

たった数回で上体が持ち上がらなくなる。無様に呻く俺を、団藤はじっと眺めている。

「もうちょい無理のねえやつにしたら? プランクとか」

見かねたらしく、団藤がアドバイスしてくる。

「腕ついて、腹まっすぐにして、もつだけやってみろ。多少は違うだろ」
「ありがとう……やってみる……」

ぜえぜえ言いながら、俺は次の体勢をとる。

「お前のためじゃねえって」

もはや団藤の口癖になっている。そう言いながら大抵は俺のためになっているのが、団藤のいいところだ。

「お前には朔を守る義務があるからな。まあ、こんなんじゃ全然足りねえが」
「うん」
「毎日ちょっとずつメニューを増やせ。しごいてやるから」
「う……ん……」

腕と腹をプルプルさせながら、俺は答える。
団藤はため息をついた。

「すげえ悔しい。なんで俺がこんなやつに……」
「だ、団藤? 」
「……なんでもねえよ、クソ」

団藤は体育座りをして、膝の上に顔を預けた。

「……そうだ、田中に返事しなきゃ」
「ことわ、る、の……? 」
「こうなったらわかんねえ」

俺は少し驚いた。田中君、敗者復活である。

「俺、女ダメだから……俺のこと好きになってくれる男って貴重なんだよ。簡単すぎか? 軽蔑でもなんでもしろよ」
「しない、よ……あ゛っ」

俺はぐしゃりと布団の上に突っ伏した。シリアスな会話が台無しである。

「早えよ」

団藤がぼそりと突っ込んだ。



二日分の筋肉痛をかかえて俺は起床する。
気分は最悪だ。
慣れない筋トレをしたせいだろうか。いや、何か違ったような――

(ああ、そうだ)

――俺は失恋したんだった。

俺は他人事のように思い出す。

(杉沢が好きな子って、どんな子だろ)

俺はぼんやりと考える。
杉沢が好きになるような相手――特に杉沢がかつて付き合っていたようなタイプの女子には、まったく心当たりがない。
しばらく考えてから、その人が俺が知っている相手とは限らないことに気づいた。
杉沢の距離感が近いせいで、杉沢とは四六時中一緒にいるような錯覚をする。
だが俺のバイト中などは、杉沢ひとりがほかの友人たちと遊んでいることも多い。
もしかしたら、そこで出会った子なのかもしれない。
いや、俺が杉沢と出会う前に出会った子ということもあるかもしれない。たとえば高校時代の甘酸っぱい初恋が忘れられない、とか。

(っていうか、女の子とも限らないんだったか)

女の子には懲りたとも言っていた。性に対する寛容な態度を考えると、相手が男の可能性だってある。
そうなると相手は絞れない。男の友人ならたいていゼロ距離で接するのが杉沢朔という男だ。
どす黒くてもやもやとしたものが胸の中に広がっていく。

(何がショックって、俺が知らない杉沢がいることがショックだよな……)

杉沢のお母さんについて、団藤から聞かされたときのショックと似ていた。
結局杉沢のお母さんについて、俺はまだ杉沢から打ち明けてもらえていないままだ。
どんなに物理的な距離が近くても、俺と杉沢の間には見えない壁がある。
きっとほかにも、杉沢には俺と共有できないものがたくさんあるんだろう。
それが何よりきつかった。
杉沢との恋が叶うとは、初めから思っていない。
杉沢と恋人どうしになる? そんな甘くてキラキラした景色は、そもそも思い描くことすらできない(エッチの方は、すでに俺のスケベな脳みそが勝手に妄想してしまっているが)。
そんなものより何より、杉沢のいちばん近い場所にいられる方がずっと大事だった。
俺の隣で安心して眠って、悩みがあったら俺に隠さず相談してほしい。ずっと俺はそう願ってきた。
だがそれはつまり、杉沢の心の奥底に踏み込ませてもらえる、ということだ。
もしかしたら恋の成就やエッチ以上の高望みを、俺はしていたのかもしれない。
そのことに、俺はようやく気づかされた。

(ただの安眠グッズのくせに。杉沢に迷惑かけまくってるだけの存在のくせに、何勘違いしてんだ、俺は)

団藤や杉沢の手前、昨日は泣けなかった。もともと感情を表に出すのが得意ではないせいもある。
ふたりがまだ寝ている間に、俺は少し泣いた。
こんな俺でも、泣こうとしたらちゃんと涙が目から流れてきた。

「ひ……ひぅ゛」

我ながら汚い泣き声だ。それに、涙と同じぐらい鼻水が流れてくる。
声を殺してしゃくりあげるたびに腹筋がひきつって痛んだ。
五分ぐらいで懲りて、俺は泣くのをやめた。

「はー……」

俺は長いため息をついた。
俺の場合、失恋すら美しくないのはなぜだ。
洗面所に行って、ぱんぱんに腫れた目を洗った。
それからなんでもないような顔をして、たらことペンギンを起こした。

「志摩、ひっでえ顔」

俺と同じくらいひどい顔をした団藤が、そう言って笑った。
俺たちの一日がまた始まる。

杉沢と団藤にコーヒーを淹れる。今朝は俺もとびきり濃いのを作って、なるべく味わわないようにしながら飲み干した。貧乏エスプレッソである。
今朝は団藤が朝食を用意してくれた。
昨日の朝俺が出した量の、倍量のソーセージが皿に乗っていた。
あの、少なかったでしょうか。
食べきれるかな、と思いながらソーセージと格闘していると、

「昨日の夜、田中にライン返したよ」

そう団藤が切り出した。
もぐもぐとパンを咀嚼していた杉沢の口の動きが止まった。

「俺、田中と付き合うことにしたから。あいつが大学受かったらって条件つきだけど……」

ソーセージをフォークで突き刺して、団藤はぼそぼそとした声で言った。

「……そっか。田中君、おめでとうだねー」

杉沢はパンを飲み下してから、ゆっくりと言った。

「それがさ、あいつ、俺が朔と一緒に住んでるって話をうちの弟から聞いて、焦って告白してきたんだって。笑っちゃうよな……一緒に住んでたからって、どうこうなるわけでもねえのに」

団藤は自虐的に笑った。
俺は思わず大きく頷いていた。なにせ覚えがありすぎる。
あつあつのソーセージを口に放り込みながら、団藤は俺をじろりとにらんだ。
俺はひゅっと縮こまった。また空気が読めないことをしてしまったんだろうか。

「駿も、えっと、おめでとう。幸せになってよ」

杉沢は気まずそうに言った。団藤は呆れたように笑った。

「結婚するんじゃあるまいし。まあ、あいつ、俺のこと大事にはしてくれそうだから、なれるんじゃねえの? 知らねえけど」

冗談めかしてそう言ったあとで、団藤は急に真面目な顔になる。

「……お前もだ、朔。早く告白でもなんでもして安心させてくれよ。言っとくが恋愛沙汰について、俺はお前をまったく信用してないからな」

杉沢は彼女三人事件の当事者なので、団藤の心配はもっともである。

「それがさー、脈がないんだよねー」

杉沢は苦笑した。
俺は憤った。こんな美形に思いを寄せられて、何も感じない人間がこの世にいるというのか。
もったいない。代わってほしい。


17


コメント