愛しの距離ナシ君(全年齢版)12





12 ロンリーナイト




風呂を出ると、もう電気を消して杉沢が寝ている。
さすがに最初の頃よりは睡眠時間は減っているが、それでもお子様のような早寝である。
さすがに毎日、杉沢と同じ時間に寝るのはつらい。
杉沢を起こさないように、最近、小さなランプを買った。
杉沢のベッドに背を向け、心もとない明かりを灯す。そのまま、布団をかぶって本を読んだり、ゲームをしたり。
俺はこの時間が嫌いではなかった。そのうち俺も眠くなって寝てしまう。
他人の寝息が聞こえるのはいいものだ。
ひとりでは眠れない杉沢の気持ちが少しわかるような気がする。
杉沢が寝返りをうつ音がする。
まどろみの中で、俺は少しだけエッチな気分になっている。

(あ、今日も杉沢の夢見るな、これ……)

情けない気持ちになりながら、杉沢の立てる物音が耳に入らないように、俺は布団にきつくくるまった。
杉沢に関する性的な夢は、もう見てしまうものだと諦めている。
さいわい杉沢は性に関してリベラルな立場のようだし、実害がなければ許してくれる、かもしれない。
いや、ダメだ。俺は醜い。

「おはよ」

次の朝、あるかないか微妙な生え方のひげを義務的に剃っていると、のそりと杉沢が出てくる。
杉沢の方は無精ひげまで様になる。うらやましい。
杉沢はふわあ、と大きなあくびをした。

「なんかよーくんに言わなきゃって思ってたんだけど、寝たら忘れた……」
「困るから思い出して? 」
「うーん」

濡れた顔をタオルで拭いて杉沢の方をなんとなく見る。
杉沢の瞼がひとつ、ふたつ、重たげにまたたきしている。

「……寝んな」
「へへ、よーくんの顔見てると安心すんだもん……」
「そろそろ過眠の心配、した方がいいんじゃ」
「だいじょうぶ……」

なんだっけ、と言いながら、杉沢は顔を洗い出した。
俺は台所に行って、電気ケトルで湯を沸かした。
杉沢にコーヒーを飲ませるためである。
カフェインを入れるまで、杉沢はいつもあんな感じだ。

「そうそう、次の土日は帰らないけど、心配しないでねって言おうと思ったんだ」

湯気の上がったマグカップを渡すと、杉沢はようやく思い出した。
ちなみにカップの中身は俺が真心をこめて溶いたインスタントコーヒーである。

「杉沢って、けっこう律儀だよな……出かけるとき、こうやって必ず言ってくるし」
「お父さんが心配性だからー、そのせいかも」

一緒に暮らしてわかったのは、杉沢は思ったよりも出歩かないということだ。
もっと深夜まで遊んで歩いているんだとばかり思っていた。
それとも俺と暮らすようになって生活ぶりが変わったんだろうか。

「どっか遊びに行くの」
「実家」
「……そっか」

きっと病院だ、と俺は思った。
団藤との約束があるので、口には出さないが。

「それからさ、いつかお父さん、よーくんに会いたいんだって。土日はバイト入ってるからって一応クギ刺してある。そういうの、よーくん苦手でしょ」
「……お父さんの都合のいい日で大丈夫だよ」

なにせ家賃をタダにしてもらっている。
いくら俺が人見知りだからって、いつかは挨拶しなくてはならないだろう。

「そうだ、それとも土日、一緒に行こうか? 休みとれなきゃ無理だし、杉沢が嫌なら別に、いいんだ、けど……」

俺は思いつきで口に出して、少し後悔した。
杉沢が寂しそうな笑顔になってしまった。

「急だから今回はいいよ」

そうだった。杉沢はお母さんのことを俺に隠しておきたいんだった。
内心俺はしょんぼりした。

「でも、うん。……次んときはよーくんのことも連れてくかも」

俺は顔をあげた。
いつかは打ち明けてくれるつもりでいるのか。

「まあ、よーくん次第なんだけどねー」
「俺は大丈夫だよ」

俺は大きな声をあげた。杉沢は少しびっくりした顔をした。

「大丈夫だから」

信頼してもらいたかった。
団藤と同じぐらいに。

「うん。でも」

杉沢は何か言い淀んでいる。

「……抱き枕にまでしといて、今更だって」

俺がぼそっと言うと、杉沢はようやく笑った。

「たしかに」

杉沢はコーヒーを飲み干した。
ことん。
流しにカップを置いて、杉沢は朝食の用意をしようと冷蔵庫を探り始める。




情けないことに、怒鳴る客がいると、身体が固まる。
機嫌が悪い時の父そっくりの声をして、老人はレジ係に食ってかかっている。

「だから!××××って言ってんだよ!!」

遠くて聞き取りづらいせいもあるが、言っていることが怒りで不明瞭だ。

「見せもんじゃねえぞ!!」

しばらく怒鳴り散らしたあと、老人はほかの客をにらみながら店を出ていく。
俺はほっとして、商品を棚に陳列する作業に戻った。
怒鳴る老人なんてスーパーには山ほどいるのに、毎回硬直していては仕事にならない。
もう父の暴力は過去のことなのだから、切り替えていかなくてはならないことはわかっている。
それでも手が震える。
その夜はいつもより疲れた気分だった。スーパーを出て、ぼんやりと歩きだす。

(って、こっち、前住んでた部屋の方に行く道じゃん)

駅は反対方向である。今夜は本当にダメなようだ。
杉沢のマンションに着いても、ダメだった。
エントランスで何気なくインターホンを鳴らしかける。
俺の人差し指はボタンを押す直前に行き場をなくし、空中で止まった。

(何やってんだよ。杉沢いねえだろ)

杉沢は予定通り、実家へ向かった。駅までは一緒だったから確かだ。
杉沢がいる状態に慣れすぎている。
自分に呆れながら、俺はポケットから合鍵を出して機械に突っ込んだ。
他人の家に鍵を使って無言で入るのは少し変な感じだ。
ドアを開ける。白くて几帳面だった杉沢の部屋が、いつもより散らかっているのが見えた。

(そっか、掃除しなきゃ……うわー、やりたくねえ)

いつもの土日は杉沢が掃除を担当してくれている。

(飯食って考えよ)

手に下げたレジ袋からカップ麺を探し当て、杉沢の電気ケトルで湯をわかす。
SNSをあてもなく眺めながら三分。画面を眺めたまま麺をすする。
残骸がテーブルに残る。

(片づけなきゃ……)

杉沢が飯を作ってくれるときは俺が皿洗いするが、今夜のやる気はゼロだ。

(風呂入って考えよ)

風呂場を一夜でカビだらけにするのはさすがに申し訳ないので、風呂の掃除だけはした。
それですべてのエネルギーを使い果たした。
リビングに戻ると、当然俺の食ったカップ麺の残骸が部屋の美をぶち壊しにしている。
流しに持って行って、洗って捨てるだけ。
頭ではわかっている。
だが、そこで、

(……眠い)

俺は突然眠気に襲われた。
今すぐ寝たい、それしか考えられなくなる。

(……もう今日は寝よう)

明日の朝やればいい。
クローゼットから布団を出すのも面倒で、俺はふらふらと杉沢のベッドに倒れこむ。
マットレスが柔らかい。シーツからは杉沢のにおいがする。
寂しい気持ちが少し紛れていく。
すう、と大きめに息を吸ったとたん、意識が飛んだ。
カーテンも閉めていなかったらしい。外が眩しくて目が覚める。
寝起きのぼんやりした頭でスマホを見る。時間を見て愕然とする。

(やべえ遅れる)

アラームが鳴った形跡がない。いや、自分で止めたのか? 眠すぎて記憶が定かではない。

(そんなのどうだっていいだろ)

すべての残骸を残したまま、俺はあわててバイトに出かけた。
その間に、魔法のように部屋が片付いているわけもない。
バイトから帰ると、昨日よりひどい状況の部屋が俺を迎えた。

(うわあ……)

これではかつての俺の城と汚さが変わらない。

(……さすがにまずいな)

俺は反省して、部屋を片付けていく。
脱いで放り出した洋服を洗い籠に放り込み、机の上のゴミを流しに移動する。
たった二日分でも、溜めた家事の負債をなかったことにするのはけっこう面倒くさい。
皿洗いしながら、俺はだんだんと気弱になっていく。

(杉沢に甘えすぎだろう、俺)

まるで母親に任せきりのぐうたら息子だ。
実家にいるときの杉沢が、料理当番だったことを思い出す。
あいつは無意識のうちに、母親の代役をさせられていたんだろう。

――同じ仕打ちを、俺は杉沢にしていないか?

俺は少しぞっとした。

(ほんとは俺、ここにいちゃダメだよな……)

杉沢が俺にしてくれた分を、俺が杉沢に返す。
そんな当たり前のことすら、現状の俺にはできていない。
この部屋で寝泊りすればなぜか杉沢の不眠が解決するという、俺に都合のいい事実にあぐらをかいているだけじゃないか。
俺はスポンジを握りしめたまま立ち尽くした。

(安眠グッズの分際で、友達気どりとか)

これでは杉沢の信頼を勝ち取るどころではない。
お母さんのことを打ち明けてもらうのだって、夢のまた夢だ。

『なんで志摩なんだよ』

団藤の声が頭の中で反響している。

(お前が正しいよ、団藤)

一度ネガティブ思考に陥ると抜け出すのは容易ではない。
暗い気持ちのまま部屋を掃除して、暗い気持ちのままシャワーを浴び、暗い気持ちのまま服を着る。
杉沢のベッドが目に入る。
何もかも忘れて眠った昨日の夜のことを思い出す。
俺はもう一度このベッドに倒れこんで、杉沢のにおいに包まれてしまいたい衝動に駆られた。
あんな風にもう一度、前後不覚になって眠れたら、このどうしようもない自己嫌悪がマシになる予感がする。

――何考えてんだ。他人のベッドでぐうぐう寝るような奴だから俺はダメなんだろうが。

――どうせダメなんだから抗うな。

どうやら二つ目の声の方が優勢のようだった。
俺は誘惑に勝てず、杉沢のベッドに身体を投げた。



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