愛しの距離ナシ君(全年齢版)5




5 帰り道と杉沢



そしてなぜか杉沢が俺の隣で電車に揺られている。

「今日もついてくんの」
「いいじゃん。俺も暇だし」
「サークルは?」
「幽霊部員。俺のせいで女子どうし揉めちゃって、居づらくなったっていうか」

杉沢彼女三人事件の余波らしい。

「……就職んときどうごまかすの」
「ね」

他人事のように同意してくる。

「よーくんは部活やってんの?」
「入ってない……」

追い込み漁の漁師さながらに押し寄せてくる先輩方から逃げ惑った春を思い出し、俺は暗く答えた。あれは恐ろしかった。

「てか、杉沢んち、近所なの?」
「電車反対方向」
「何それ」

ゴー、と鳴き声を上げて電車は地下に潜る。俺は再びスマホに目を落とす。

「なんか話しようよ」
「……」

俺に話を振らないでほしい。

「俺ねーソシャゲ全然続かないんだよね、デイリーに縛られんの嫌で」

俺が黙っていると、杉沢は唐突に言う。俺に関係する話題を選んでくれるところは優しい。

「……緩めの奴やれば?オートあるのとか」
「俺ログインすら忘れるから」
「へえ」
「あとー、努力しないと切られるフレンド機能とかがつらい。俺いらない子なんだなーってなるでしょ」
「あー……」

フレンド機能が負担になる気持ちはわからないでもない。
多くのソシャゲはフレンド機能をもち、ユーザー同士で戦力を融通しあわなければ攻略できない。
強いユーザーから切られないためには、ログインを続け、戦力を最大にし、できれば課金して、『使える』フレンドでいなければならない。
そこには常に圧力がある。
俺もその見えない重圧に応えるため、空虚な周回を続けている面が大きい。
誰かに頼ってもらえる感覚というものは強い中毒性がある。
期待を裏切るのが恐ろしい。
時間と(俺の場合は少額だが)金をつぎ込んで得た地位から、転落するのが恐ろしい。

「やんない方が幸せならそれでいいと思うよ……」

反省しながら俺が言うと杉沢は目を細める。

「俺のこと考えてくれんの。優しい」
「そういうんじゃねえし……」

もう一回り反省する。

「でもさー、寝られねえとき暇なんだよね。あとよーくんと同じ話題で盛り上がりたい」
「杉沢、ガチで不眠なの」
「うん」

『自分より大変な人が身内にいると、泣き言いえなくなるでしょ』

杉沢の言葉が頭によみがえる。

(杉沢んちもいろいろあるんだろうか)

俺は思わず言った。

「あの、さ……寝らんないとき、多少なら、その、付き合うよ……話し相手……もちろん、俺が起きてるとき、だけだけど……」

どんどん声がしりすぼみになる。
よく考えたら俺じゃなくても、話し相手ならいくらでもいそうなやつだった。
それこそ団藤とか。
杉沢はぽかんと俺の顔を見て、それから笑った。

「ありがとう。俺、全然遠慮しねーから」
「……多少は遠慮してくれ……」

駅から歩いて二十分。
自転車があれば楽だが、駐輪場に困るので徒歩だ。
杉沢は隣をついて歩く。

「よーくん週末とかどうしてんの」
「バイト入れてる……」

どうせ遊びに行く友達もいない。
授業のある平日は楽をして、土日はスーパーの品出しのバイトをしている。
離婚の際の取り決めで、父親からは学費の援助がある。
実家も生活費の仕送りをしてくれている。
それでも東京での一人暮らしはお金がかかる。特に家賃。
負担を考えて実家から通うことも考えたが、母の再婚相手と一緒に暮らすのは俺にはハードルが高すぎた。
決して悪い人ではない。
ただ人見知りへの理解がまったくない。

「杉沢はバイトしてるの」
「してない。俺、実家に甘やかされてるからね」
「そうなの」
「うん。いいご身分ってやつ」

杉沢の笑顔はいつもより嘘くさくて、いつもより寂しそうだった。
突っ込んで訊くのもはばかられ、かといって代わりの話題を持ち合わせるはずもない。
黙々と歩いているうちに、アパートの前まで来た。

「ていうか、なんでいっつもアパートの中までついてくんの」

今日も杉沢はごく自然に、錆びた階段を上り始めている。

「ん?よーくんかわいいから。防犯?」

杉沢に何を訊いたところで、こういう冗談ではぐらかされる。
俺もそろそろ学習すべきだ。
と、階段を上る俺の足が止まる。

「父さん……」

ドアの前で、父が腕組みをして立っていた。

「やっぱり来てた」

杉沢は独り言のように小声で言った。
俺は思わず振り返った。
つまりここまでついてきてくれていたのは、本当に俺の身を案じてのことだったのか。
父は俺が帰ってきたのに気づくと、険しい顔になる。

「陽介。お前昨日大学にいなかっただろう。人の金で勉強させてもらっているのにサボるとはどういう……」
「初めまして」

杉沢は後ろから追い越して、俺の前にすっと立った。

「杉沢と申します。志摩くんとは同じ学部の同級生です」
「ああ。初めまして。……遊びに来てくれたところですまないが、少し家族の話がしたいんだ。陽介と二人にさせてほしい」

父はうってかわって人当たりのいい笑顔で言った。こういうところが大嫌いだった。

「えっと……昨日はぼくの体調不良に付き合ってくれて欠席していましたが、志摩くんは普段から真面目に出席してますよ」

杉沢は俺をフォローしはじめた。
どうやら勘の悪い友人を演じ始めたようだ。

「そうか。それを聞いて安心した。だが今日はその話をしに来たわけではないんだ」

父は(父にしては)辛抱強く言った。

「どんな話ですか」
「だからそれは家族の話で、他人に聞かせる話ではない。今日は引き取ってくれるか」
「志摩くんのこと怒らないですか」
「……怒るとか怒らないとかの話ではない」
「でも、さっき怒ってらっしゃいましたよね」
「いると思ってわざわざ立ち寄ったのにいなかったからだ。もうその話はいい、違う話をしに来たんだ」

父は明らかに苛立っている。
『いい人』の仮面が、杉沢の手によって剥がされはじめた。

「今怒ってますよね?」
「しつこいな君」
「ほらやっぱり怒ってる」
「からかっているのか」
「違います。志摩くんのことが心配なんです」
「お前な!ふざけるのも大概に」
「……もういいよ、杉沢、大丈夫だから。近所にも迷惑かかるし」

俺は耐えられなくなって言った。
杉沢は自分の方に父の怒りの矛先を向けて、俺を守ろうとしている。
一発殴らせて警察でも呼ぶつもりかもしれない。
気持ちはありがたかったが、杉沢にそこまでの迷惑はかけたくなかった。
沈黙のあと、杉沢は「お邪魔してすみませんでした」と小さく呟いて、引き返した。

「何かあったら呼んで。下で待ってる」

そう囁くと、俺の返事を待たずに杉沢は階段を下っていく。

「なんだあのふざけた野郎は。付き合う人間もろくに選べないのかお前は」
「……父さんのこと話してあるから、心配してくれただけだ」
「人の陰口だけは一人前になったようだな、ええ?」
「陰口じゃないよ」

俺は急いで言った。まだ俺はこの人を恐れている。

「……まあ、お前のことはどうでもいい。中へ入れろ」
「ここの住所は大学で聞いたの」
「なかなか教えようとしなかったがな」

カギを開け、父を中へ通した。
部屋を一瞥して、父は暗く笑った。

「いないか」
「いない?」
「千夏が消えた。番号も変えたらしく連絡がつかない。ここじゃないってことは男のところだろう」

姉は父の方に引き取られた。
姉は大学四年生で、大学へは父の家から通っていた。

「姉さんも大人なんだし、放っておいてあげればいいのに……」
「お前に連絡は」
「ないよ。最近全然話してない」
「男については。確か千葉とかいう」
「知らない……本当だって」

父に疑われ、俺は珍しく大きめの声をあげた。
日頃から姉は俺とあまり連絡をとりたがらなかった。そのせいもあって、千葉という人には本当に心当たりがなかった。

「昨日いなかったのはあいつとグルになっている証拠かと思ったが」
「連絡もなしにいきなり来たのはそういう……?」
「ああ。まあ、お前をあてにするほどあいつも困ってないか」
「父さんが姉さんを探してるのって、心配してるから……?」

俺は思わず訊いた。

「くだらないことを聞くな。あいつから連絡があったら必ず伝えろ。いいな」
「……はい」

苛立っているときは逆らわないに限る。
守るつもりがない口約束をすると、父は満足したようで出ていった。

「大丈夫だった?なんかされてない?」

父が帰ったあと、杉沢は階段を上がってきた。

「……ありがと、心配、してくれて」

俺は杉沢を部屋に上げながら、ぼそっと呟いた。
ちゃんと伝わっているかはわからないが、感謝しているのは本心だ。

(こいつだけだ)

俺と父を並べたとき、俺の方を疑わず、真っ先に守ろうとしてくれた他人は。

「よーくんのお父さんだからあんま悪く言いたくはないけどさー、なかなかだねぇ。お邪魔します」
「出せるもん、なんもねえけど」
「いーって。珍しく部屋に入れてくれるって言うから、これを機によーくんと距離を詰めたいって魂胆なだけだし」
「こ、これ以上どうやって」

既に距離はゼロに限りなく近い気がする。

「まだ余地はたくさんあると思うけど?ABCD的な」

どかっ。
俺はしたたかに卓袱台で足を打った。
巨ペンギンがそびえるエッチなドリームが俺の頭をよぎったのである。

「どしたん」
「……杉沢が変な冗談言うから」
「それで慌てちゃったの。へー」

床に胡坐をかきながら、杉沢はにやつく。

「面白がるなよ……って、杉沢?」

突然、杉沢は俺への興味を失った。
じっと外の様子をうかがっている。
なんだなんだ、と思っていると、階段を誰かがのぼってくる足音がする。



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