愛しの距離ナシ君(全年齢版)4
4 ペンギンを夢に見て
帰りの電車に何気なく杉沢が乗ってきているのを指摘しそびれ、気づけばアパートの前だった。
杉沢は俺の後について、ちゃっかり鉄階段まで上ってくる。
「なんで家までついてくんの……」
「デートだもん。あ、安心して、別に何もしないから」
「冗談きついって」
「へー、407号室」
「把握すんな、怖い」
俺がリュックを下ろしてカギをごそごそと探りはじめると、杉沢は笑って背を向け、手をひらひらさせた。
「じゃーね、よーくん」
「……じゃ」
ばたんとドアを閉めると、俺はほっとして溜息をついた。
今日は一日中杉沢に振り回されていた。
六畳一間の部屋はそれなりに散らかっている。
敷きっぱなしの布団に、放り出された本。
典型的な男の一人暮らしだ。
俺は床を見て顔をしかめたが、見なかったことにした。
カップ麺で夕飯を済ませ、シャワーを浴びる。
風呂の後は多少勉強するのだが、いつの間にか手がひとりでにスマホを弄っている。
こうなるともう集中力が続かない。あきらめてゲーム機を取り上げる。
心の平穏を取り戻すべく、いつものだらけた生活パターンに入っていく。
父親のことはとりあえず考えないようにした。
また大学に来るのだろうし、いつまでも逃げているわけにはいかないだろうが。
仰向けになって、横長の機械を弄る。
ものの数分で、画面の中の探索者が死んだ。
(またミスった)
やはり疲れているのだろうか、思うように熱中できない。
(ここ無駄に難しいんだよな)
つまらない気持ちを殺して義務的に指を動かしていると、突然、奴が来た。
(ムラムラする……)
俺は呻いた。俺だって男、性欲というものが不意に襲ってくることがある。
無視しようと指を動かす。
が、脳みそはすでに奴に乗っ取られているらしい。
ありとあらゆるパターンであっさりと死んでいく主人公に、俺は続きをするのを諦めた。
だがどういうわけか、今夜は処理する気にもなれなかった。
棚の上に放り出したあのペンギンがこちらを見つめているような気がして、落ち着かないのである。
(んなわけねえだろ)
ペンギンに見られているだなんて、そんな妄想にとりつかれるとは、俺もよっぽど疲れているんだろう。そう判断した俺は、ゲーム機を投げるように床に置き、布団をかぶった。
その夜は意識を失うように眠った。
案の定、エッチな夢を見た。
――――それもよりにもよって、杉沢が相手である。
巨大化したマスコットのペンギンが見つめる前で……いや、これ以上は自粛しよう。全年齢でなくなってしまう。
俺はびっしょりと汗をかいて飛び起きた。
はあはあと息が荒い。変態か俺は。
いったいどうしてそんな夢を見たのか。
距離が近すぎるせいで、ついに俺はあの男をそういう対象として見始めてしまったのだろうか。
充電を忘れたスマホに目をやると、上部の通知ランプが点滅していた。
『朔がスタンプを送信しました』
(すぎ、さわ)
どっどっどっと心臓が鳴っている。
予告通り、杉沢は再び深夜に朝の挨拶を送ってきていたらしい。
エッチなドリームを見たそのお相手からのご連絡である。
今日この瞬間だけはその名前を見たくなかった。
そのままでいるわけにもいかず、震える指で通知をタップしてしまう。
『おはよー』
例のペンギンが無邪気な顔で手を振っていた。
夢でエッチなことをする俺と杉沢を見つめていた、あれである。
夢では見上げるほど大きかったが。
「……!!」
俺は熱いものにでも触ったようにスマホを放り投げ、それから大きく呻いて枕に顔を埋めた。
本当は大学を休んででも杉沢を避けたい気分だった。が、そんなことをして困るのは俺自身である。
「朝さー、既読ついたのにラインくれなかったね」
「す、ぎさ、わッ」
教室でいつものように後ろから肩を抱かれ、俺は声をひっくり返した。
友人の淫夢を見てしまった罪悪感が俺の挙動をいつも以上に不審にしていく。
今まで意識にも上らせていなかった、耳たぶに触れる杉沢のサラサラとした髪が気になって仕方ない。
髪からはシャンプーの匂いがする。
それに俺の肩を包む体温。
(気にしちゃダメだ)
決して赤面などしてはいけない。
そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど自分が追い込まれていくのを感じる。
「なんかあったん」
こんなときにかぎって、杉沢は真面目な声をして俺を気遣ってくる。
罪悪感は増すばかりである。
まさか昨日、お前とエッチなことをする夢を見ましたなどとは言えない。
「なんでも、ないって……」
「もしかして俺、嫌われた?」
「そうじゃなくて、その」
つい否定してしまうと、
「よかったー、俺よーくんに好かれてんだ」
杉沢はぎゅっと腕に力を込め、わざとらしくほおずりしてくる。
耳に触れる髪の毛のくすぐったさが倍増する。
やめてほしい。
「お、今日もやってんな」
友人Aは冷やかしだけ言って去っていった。
助けにならないタイプだ。
遅れて友人Dもとい団藤がやってきて、杉沢に向かって眉をひそめた。
「またくっついてんのか。志摩が困ってるだろ。やめてやれよ」
さすが常識人。
そうだそうだと俺は団藤を心の中で応援する。
このままでは本当に変態になってしまいそうだ。
いや、頬が熱いのも心拍数が上がっているのも、あくまで動揺しているからで、すでに俺が変態だからではない。
と信じたい。
「もしかして駿、妬いてんの?かーわいい」
やはり杉沢は誰にでもこういうことを言う男のようだ。
悪い男である。
「馬鹿言ってねえで離れろって」
団藤は本気で苛立っている。気持ちはわかる。
「素直じゃないねぇ」
そう言う杉沢は、やれやれと溜息をつきながらあらためて俺の肩に顎を預けた。
離れてくれるわけではなかった。
生殺し継続である。
「あのな……志摩も志摩だ。嫌なら嫌って言えよ」
「へ?」
驚いて顔をあげると、団藤は怖い顔をして俺をにらんでいた。
縮みあがるレベルの威圧感だった。
俺が本当に変態かどうかなどという些事は、団藤の視線に射すくめられた瞬間にどこかへ吹き飛んでいった。
「あ……はい……えっと……杉沢、じゃ、邪魔?」
苛立ちの矛先がこっちに向くと思っていなかった俺は思い切りどもった。
「よーくんほんとに押しに弱いよねー、俺すっげえ傷ついたんだけど」
杉沢は溜息交じりに再びほおずりしてくる。
「杉沢」
「朔」
俺と団藤の声が被った。
「あーわかったわかった」
杉沢はやっと離れてくれた。
団藤の眉間の皺が緩んだ。俺はほっとして肩の力を抜いた。
「そういや駿さぁ、文学とってたっけ?」
俺の隣にどさりと座り直し、杉沢は団藤に訊いた。
「とってねえけど」
「あーじゃあ他あたるわ」
「お前サボったん?珍しいな」
「うん、ちょっとデートしてた」
「ぶふっ」
運悪くペットボトルの茶に口をつけていた俺は、端的にむせた。
「よーくん大丈夫?」
他人事のように言う杉沢を思わず涙目でにらんだ。
その向こうで、団藤は変な顔をして俺を見ていた。
「おーい団藤ー、お前午後の予定空いてるっけ」
「なんだよ」
団藤がほかの男子に呼ばれて離れていくと、杉沢は俺の耳に囁いた。
「よーくんってさ、意外と隠し事できないよね。かわいい」
「杉沢が妙なこと言うからだろ……っていうか杉沢お前、団藤のことも、その、かわいい……んだよな?」
「うん」
ちなみに団藤は俺や杉沢より体格がいい。かっこいいタイプであっても可愛いタイプにはとても見えない。
かくいう俺も平均的身長の平均的男子であり、どこからどう見ても可愛いタイプではない。
「ほら、よーくんも駿も、からかい甲斐があるでしょ」
俺は団藤に深く同情した。
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