愛しの距離ナシ君(全年齢版)14





14 父と俺 



杉沢を心配させないように、その夜は暗い顔をしないようにした。
だがいくら根暗ががんばって明るくしていたところで、たいしてごまかせてはいなかったようだ。

「眠れる?」

真夜中、杉沢がベッドからそっと声をかけてきた。
この時間に杉沢が熟睡していないのは大変珍しい。

「いろいろ考えちゃって……」
「だよねー」

頼ってはいけない。頼られる方にならなくてはいけない。杉沢に心配をかけたくない。
そう思うのに、気づいたときには言葉が勝手に口から溢れていた。

「次はたぶん、警察沙汰だよね」
「この国の公権力が機能してれば、そうだねー」
「ほんとは、その前に俺が止めてやらないといけないよな……姉さんのためだけじゃなくて、あの人のためにも。これでも元家族だし」

父のせいで、すでに一家はバラバラだが。

「……けど、たぶんもう俺には何もできない。俺のことは馬鹿にしてるから、言ったって何も変わらないと思う」

話したところで何も変わらない。そんな経験を繰り返して、俺は次第に普段から何も話せなくなった。

「よーくんのせいじゃない」
「俺のせいだよ。俺が父さんを怖がってるからいけないんだ。情けないけど、まだ身体が震える」
「どうしようもないことって、あるよ……」

杉沢の言葉には、経験者としての重さがあった。
動けなくなったお母さんを見ながら、きっと杉沢は『どうしようもないこと』の意味を知ったんだろう。
しばらく俺も杉沢も黙っていた。

「……姉さん、父さんのお気に入りだったんだ」
「うん」
「……あの人、姉さんの大事なもの、全部壊す気なのかな」
「……」
「そうすれば姉さんが帰ってくるって思ってんのかな。馬鹿だよ父さんは」
「……」
「そんなの愛情じゃないって」
「そうだね」

杉沢は少し悲しそうに呟いた。

「相手のためを思う気持ちと、相手を思い通りにしたい衝動って別物なのにね。おんなじ名前で呼ばれちゃうから、混ざる」

俺に向かって言っているというより、自分に向かって言っているように聞こえた。

「俺も気をつけなきゃだね……」

杉沢はぼそりと呟いた。

「杉沢?」
「……なんでもない。寝ぼけただけ」

杉沢はごまかすように言ったあと、大きなあくびをした。

「ごめん、眠いよね、杉沢」
「まあね。だからよーくんも寝よ? 俺、そっち行ってもいいよ」

杉沢がまた、通常運転に戻ってくれる。俺はほっとした。

「それはいいって。……でも、ありがとう。これ、ひとりだったらだいぶメンタルやられてた……」
「わかるよ、それ。俺もよーくんがいなきゃ寝られもしねえし」
「知ってる」

俺は微笑んで、目を閉じながら言った。
今の俺には、(杉沢の安眠グッズとしての)役割と居場所がある。
ゆっくりと肺の奥まで息を吸って、吐く。

「おやすみ、よーくん」

杉沢の声が優しく耳に届いたのを最後に、俺は眠りに落ちた。




父が大学に来るのは思ったより早かった。
また事務局で声を荒らげているのが、ドア越しに聞こえる。
俺と杉沢は顔を見合わせた。

「ですから、引っ越しの届け出はこちらにはなく、志摩さんの住所はこちらも把握していない状況ですので……本人に直接聞かれた方が……」

耳を澄ますと、事務局の人が父をなだめている声がする。俺はとても申し訳ない気持ちになった。

「どうする? また逃がしてあげようか」

杉沢は俺に耳打ちした。
俺は覚悟を決めた。

「いや……今回はちゃんと話す。どうせ逃げたってまた来るだけだから」
「俺が横にいていい? 」

頼ってはいけない。また返せないものが増えてしまう。

「……大丈夫。ひとりで行くよ」

俺は杉沢に頼ってもらえる男になりたかった。
怖い気持ちを殺して、俺は部屋に入った。

「父さん」

父は振り返った。
問い詰めから解放されて、事務局の人が明らかにほっとした顔をするのが見えた。

「陽介。引っ越したなら連絡ぐらいしろ。どいつもこいつも俺を虚仮にしやがって」
「よろしければカフェテリアでゆっくりとお話なさってください。志摩さん、ご案内を……」

体よく追い出され(当然だ)、俺と父は棟をまたぎ、学食のカフェスペースに入った。

「どうしたの、姉さんが見つかったとか……?」

座りながら、俺は空とぼけた。

「見つかっていたらお前のところになんて来るか」

父は苛立っている。

「本当は知ってるんだろう、どこにいるのか。お前らはグルだ。そうやって俺を愚弄するのがそんなに楽しいか」

向かいに座った父は少しやつれて、前よりも肌が薄汚れて見えた。酒ばかり呑んでいるんだろうか。
目だけが怒りでぎらぎらしている。

「知らないよ。……父さんも、姉さんのことは放っておいた方が」
「俺に意見するのか。いつからそんなに偉くなった、ええ?」
「姉さんだっていつかは自立するんだ」
「覚えておけ。こういうのはな、世間では自立とは言わない。人様に迷惑をかけないのが自立だ」

いちばん人様に迷惑をかけている人が言っていいことではない。
俺は思わずカッとなった。

「迷惑なんて誰にもかけてないだろ。姉さんの人生を邪魔しないであげてよ」
「なんだと」

父がテーブルごしに俺の襟首をつかんだ。周りの人たちがぎょっとしてこちらを見ている。
こわい。だが、口が勝手に回る。
言わなくてはいけない。姉の人生を守らなくてはいけない。
姉のためにも、父のためにも。

「姉さんだって幸せになっていいんだよ。父さんがどうこう言う権利なんてない」
「子どもの分際で……!あれだけ世話になっておいて」
「父さんのせいでめちゃくちゃなんだろ!もういい加減目を覚まして!」
「なにを!!」
「でないと取り返しがつかなくなるんだよ!」
「黙れ!!」

父の握り拳が宙にあがる。
まだ小さかった俺の身体が床に吹っ飛んだ、昔の記憶がゆっくりと目の前に広がる。

(あ、来るな)

あんなにトラウマだったのに、こわいという感情も起きなかった。

(あのごつごつしたところが骨に刺さると痛いんだったな)

他人事のように考えながら、俺は目を閉じた____

「何してるんですか」

割り込んだのは、ひどく冷静な声だった。

(なんで……)

この瞬間、俺がいちばん聞きたくない声だった。
いつの間に来ていたんだろう。

「杉沢……!」

こいつだけは巻き込んではいけない。怪我をさせたくない。
俺のせいで傷つくさまを見たくない。

「ダメだ杉沢……!」

俺は叫んだ。
俺自身が殴られるよりも、こわいと思った。
杉沢は父の拳を掴んでいた。杉沢の手の中で、父の手は怒りで震えている。

「警察呼びますよ」
「クソガキが! 人んちのことに口を出すな……!!」

次の瞬間、拳が勢いよく杉沢の手から外れた。
ぶん。鈍い音がカフェスペースに響いた。
拳が杉沢の顎にめりこむ。杉沢の細長い身体が大きく揺らぐ。
俺は目を見開いて震えていた。

――何もできなかった。

「……いいですね」

杉沢は倒れる寸前で踏みこたえて、落ち着いた声で言った。
杉沢のもう片方の手にはスマートフォンがあった。

「この野郎、やめろ……!!」

手から機械を奪い取ろうと、父が杉沢に掴みかかった。もみ合いになった数秒後、杉沢の端末からつんざくようなアラーム音が鳴り響く。
父は舌打ちすると、逃げ出した。

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