愛しの距離ナシ君(全年齢版)10
10 海へ行こうよ
バイト先の店長に休みの許可をとる。俺にとってはこれが最大のハードルだった。
俺のようなタイプはルーティーンから外れたことをするのを大の苦手とする。
普通と違う育ち方をしている自覚があるから、世間で自分の行動が受け入れられるのかまったく自信がないのである。
人目を引くぐらいなら休みなどとらない主義でここまで来た。
だがこれも杉沢のため。
俺だってやればできる、はず。
事務所に人が少なくなった瞬間を見計らう。
店長の机の前に立つ。
ぱくぱくと何度か口を開けて、閉じて、切り出す。
「あの、再来週の日曜、休んでいい、です、か……」
杉沢を誘ったときと同様、『あの』と『ですか』の間に何十デシベルかの差ができた。
「二十八日ね。いいよ」 店長はあっさりオーケーをくれた。
俺は拍子抜けした。いい人だ。
「友達とどっか行くの」
「え、ええ、ちょっと」
そういきなり人間は変われない。俺はごまかして逃げた。
閉店後、朗報を胸に、電車を乗り継いで杉沢の部屋に戻る。
引っ越したおかげで、通うのには少し遠くなってしまった。
「おかえりー」
杉沢は友人たちと出かけていたはずだったが、ちゃんと帰っていてオートロックを開けてくれた。
合鍵はもらっているので、俺だけでも入れるのに。
「ごはん作っといたよ」
「ありがとう……」
杉沢が俺に何かしてくれるたび、果たして俺は同じだけのものを返せるんだろうかと心配になってしまう。
「そういや、休みとれたよ」
杉沢のハンバーグをおいしく平らげながら、俺は今日の成果を報告した。
休みがうまくとれた喜びが、口に出したとたんに現実的なサイズにしぼんでいく。
なんとちっぽけな成果だろう。
「わかった。その日は予定開けとくね。いよいよ再来週、よーくんとのデートかー。楽しみだなー」
「茶化さないでよ」
「でどこ行くんだっけ」
「……」
俺は間抜け面を晒した。何にも考えていなかった。
「えっと……杉沢が行きたいとこ……?」
「じゃーねー。海行こ、海」
杉沢はすぐに言った。
「俺車ないよ」
「俺もないよ?」
知っている。
団藤の車がさっと頭をよぎった。
彼も誘うべきだろうか。
ふたりで海に行ったと知ったら、きっとまたしこりが残る。
杉沢のためにも、それはよくない。
三人で行けば、俺はともかく、杉沢は楽しいだろう。
ろくな話題を持ち合わせていない俺よりも、少なくとも団藤の方が話が弾むだろうし。
俺が杉沢の本当の友達なら、団藤を誘うことに抵抗なんて感じないはずだ――
「電車で行けるとこでいいじゃん。千葉とか湘南とか。どの辺にする?」
迷っているうちに、杉沢がさらっと言った。
スマホを覗き、候補地を探している。
俺は団藤を誘うのを提案しそびれてしまった。
――いや、それは嘘だ。
本当は団藤を誘いたくなんてなかった。
団藤じゃなく、俺がこの部屋から杉沢を連れ出したかった。
俺の『友情』はまだ、不純物だらけで濁っている。 そわそわとしているうちに、あっという間に二週間が経った。大学生になってから時間が過ぎるのが早くなったのは気のせいだろうか。
「俺、この子に海見せてあげたい」
出発前に杉沢は、俺に贈ったペンギンのマスコットを段ボールの中から見つけてきて、リュックに下げた。 「母なる海、ってね」 電車を乗り継いで海岸近くの駅で下り、細い道を歩いて浜に出る。
あいにくの曇り空だが雨は降りそうにない。
泳ぐ季節でもなく、浜辺には黒いゴムを着たサーファーが何人か見えるだけだ。
『海の見えるカフェで高いサンドイッチを食い、コーヒーを頼りにだらだら過ごす』
結局俺たちが計画したのはそれだけだった。
杉沢いわく、『肉とか刺身食うよりデートっぽいから』という。その冗談、そろそろ飽きてほしい。
杉沢はテーブルの上にペンギンを置いた。
「ほら、ふるさとだよ」
そう言われると、いつものペンギンもどこか感傷的な顔をしているような気がしてくる。
小さな丸テーブルの上で、コーヒーがゆっくりと冷めていく。
こういうとき気の利いた会話ができるなら、今ごろは俺にも友達が百人ばかりできていて富士山の頂上でおにぎりを食っている。
案の定話すことはすぐになくなって、灰色っぽい海をぼんやりと眺めるだけになる。
気まずいか、というとそうでもない。
団藤の車に乗っていたときのぎすぎすとした沈黙とは全然違う。
10月にしては生ぬるい風がテーブルを吹き抜けていく。
同じぐらい生ぬるい時間が流れていく。
「何」
なんとなく頬のあたりに視線を感じて、俺は杉沢に聞いた。
杉沢は椅子にもたれる。
「や、こういうのいいなーって」
「こうやってだらけるの?」
「うん」
すやすやと睡眠不足を解消し続ける杉沢も、暇さえあればゲーム漬けの俺も、忙しい現代人と比べれば、普段から格段にだらけた生活をしていると思うが。
それでも、来てよかったと言ってもらえたのはうれしい。
「……じゃあ、またこういうの、しよう」
杉沢にしてやれることなんて、こんなことしか思いつかない。
俺の方も、こういう時間は嫌いではなかった。
杉沢は笑って小さくため息をついた。
「これで期待しちゃダメなんだよねぇ」
「えっ、約束はちゃんと守るよ」
俺はよほど信頼されていないのだろうか。
「そういうんじゃないから」
杉沢は手を振って否定すると、冷めたコーヒーを最後まで煽った。
「ね、海岸歩こ」
忘れないようにペンギンをリュックにぶら下げなおしてから、店を後にした。こんなところに置いていかれたらペンギンは余計に寂しがりそうだ。
目の前の浜辺へ降りていく。
スニーカーの下で砂が崩れる。
とんびが高い声で寂しげに鳴きながら、空をぐるりと旋回している。
「風、しょっぺ」 笑う杉沢の重い前髪を風が巻き上げていく。
俺の名状しがたい形状の癖毛も風に煽られ、さらに名状しがたい爆発加減になっていると思われる。
「ねーよーくん」
「何」
「なんで誘ってくれたのか、そろそろ聞いていい?」
「そ、れは……」
俺は慌てた。
もっともらしい理由を用意しておけばよかった。
シミュレーション不足にもほどがある。
普通に話すのも苦手なのだから、器用な嘘をつくのは不可能に近い。
『杉沢が心配だった』と言えば『どうして』となるのは明らかで、そうなると団藤から杉沢の身の上話を聞いたことまでうっかり喋ってしまいそうだ。 「内緒なの?」 一瞬雲の隙間から陽が出て、海が銀色に光る。
ひょろりとした杉沢のシルエットが眩しくて、俺は俯いた。 「友達、だから」 俺はやっと言葉を見つけた。
「お前、俺のこと、友達って言ってくれたから……真に受けたっていうか……」
こわごわと杉沢の方を見た。
杉沢は何も言わず、俺の顔をじっと見つめている。
やがてふっと笑った。
「……そっかー。友達かぁ」
「えっ違うの」
ここで違うと言われたら俺はとんでもない勘違い男である。
「違わないよ? ってか、親友?」
杉沢はどこまで本心かわからない、いつもの調子で言った。
一応、俺は勘違い男のレッテルを免れた。ほっとした。
「座ろ。でー、親友だから手繋いじゃお」 杉沢の乾いた手のひらが俺の手を掴んで引っ張った。
座り込みながら、俺は思わず笑った。
杉沢は相変わらずこういうことを平気でする。 「でー、親友だから肩にもたれる、と」 杉沢の重い頭が俺の肩に乗った。
「しねえよ普通……」
「かもねー」
また変な夢を見そうな予感はあった。
が、そんなことも、今この瞬間だけはどうでもよくなってしまっていた。
杉沢の距離感が近いのは今に始まった話ではない。こういうやつなのだ。
俺や団藤が何を思おうが、杉沢は変わらない。思う存分、変なやつでい続ける。
逆に、杉沢がどう思おうが、俺や団藤もまた、変われないのだろう。
(開き直ってるな、俺)
これも旅のせいなんだろうか。
(俺や団藤? )
ごく自然に並べてしまったが、不適切だったな、と思い直す。
杉沢に真剣な恋をしているという団藤と、杉沢と変なことをする夢を見てしまっただけの俺は、一緒にならない。
(ならない……よな……?)
恋、なんて俺とは無縁の言葉が急に降ってきて、俺は狼狽える。
恋というのは団藤や杉沢や、巷に溢れる女の子たちといった、きらびやかなタイプの人間がするものである。
俺には無関係のはずだ。
(恋……?)
まさか俺が杉沢に対して抱いている、この不格好で醜いもやつきが、それだというのか?
(じゃないに決まってるだろ)
俺は思い直した。
そんなの恋に失礼すぎる。
(……たぶん)
俺は少し自信がなくなって、付け足した。
これも全部、杉沢がデートだなんだと茶化すせいだ。
俺は杉沢に全責任をなすりつけた。
現に今も、杉沢は繋いだままの俺の手を戯れに上下させている。
俺は杉沢からあわてて視線を外す。
波の音ばかり聞こえる。
世界に俺たちしかいないようなふりをして、俺たちは海を眺めている。
俺に杉沢がくっつき、杉沢を友人ABC以下が取り囲む。
月曜日はいつもの構図で始まった。
「そういやお前昨日どこ行ってたんだ」
「誘ったのに来ないとか付き合い悪いぞ」「昨日?ふふふ、よーくんとふたりで海行ってた。いいでしょ」
冗談めかした調子で、杉沢は俺の肩を抱いて言った。今日も通常運転である。
残念ながら今回は事実なので否定はできない。
ふたり、というところで、友人たちは顔を見合わせた。
反応に困った様子だ。
俺は頬にさっと熱がのぼるのを感じた。
俺と杉沢が一緒に住んでることは既にバレている。
団藤が杉沢の不眠について説明してくれたおかげで、恋人疑惑はぎりぎり免れている(冗談にはされるが)。
だが今回のはどう言い訳しよう。
内心パニックになる俺と、固まる友人ABC以下の横で、団藤が真っ黒な負のオーラを全身にまとっている、ような錯覚をする。
「う、うらやましくねー」
「ふたりってとこにガチ感がある」
「彼氏ばっか構ってないでさ、俺らとも遊んでよー」
友人たちは冗談として受け止めることにしたらしい。
「……冗談抜きでさ、お前らマジで付き合ってんの」
通称たつのりちゃんだけは違ったらしく、俺にこっそりと聞いてきた。
団藤が神経を全集中させ、聞き耳を立てる気配がする。
俺は急いでぷるぷると首を横に振った。
団藤の気迫が少し和らいだ。
「だよな」
たつのりちゃんもほっとした様子だった。お騒がせしてすみません。
俺は縮こまって、また空気に戻るべくスマホを開いた。 (……団藤とは少し話しないとな) 授業が始まって、終わる。
退室するため席を立つと、杉沢は俺の隣にひっついた状態に戻り、友人たちと団藤は杉沢を囲んでいる状態に戻る。
どうにかして団藤だけと話せないだろうか。
こういうときラインなりSNSアカウントなりを交換していれば対面で話す必要もないのだが、当然そんなことはしていない。これから交換する、というのもたぶん無理だろう。
団藤にとって俺は恋敵なのである。
困りながら歩いていると、ちょうど杉沢たちは学食に入った。
チャンスだ。
「団藤」
一緒に入ろうとする団藤を、俺は小声で呼び止めた。
「海のことだけどさ……団藤に謝らないといけない、かも」
団藤は怪訝な顔で立ち止まってくれた。
「謝るようなこと、朔にしたって意味か」
ぼっ。
負のオーラがふたたび立ち上った。
俺はふたたび一生懸命首を横に振った。
「違う、だ、団藤も誘えばよかったかなって……」
「車係か?」
「そうじゃなくて」
確かにあのとき、車を持っていないことがきっかけで団藤を思い出した。
それだけに、否定するのは少しだけ後ろめたい。
団藤はため息をついた。
「朔はお前と行きたかったんだろ。性格から言って、どうせお前から誘ったんじゃないんだろうし」
「え? いや……その」
団藤はきっと俺をにらんだ。
「朔に拉致されたんじゃねえのかよ」
「……俺から誘った」
「なんで」
「あいつに何か、してやりたかったんだ、俺も……」
その続きは、勝手に口から漏れていた。
「もしかしたら。……もしかしたら、俺、団藤と同じなのかもしれない……まだわかんない、けど」
「お前と一緒にすんな」
団藤はぴしゃりと言った。 「もしかしたら? そんな生ぬるい気持ちじゃねえよこっちは」 たしかにそうだ。
団藤はおそらくもう何年も杉沢のことが好きなのだ。
「ごめん」
「謝るなよ。宣戦布告に来たくせに」
「えっ」
そう受け取られるとは予想していなかった。
「わかってんだよ。お前と暮らしだしてから、あいつの顔色がよくなってるの。なんでそれが俺にはできなかった……」
団藤は自分を責めるように言った。
「なんで志摩なんだよ……」
なんで団藤ではなかったのか、俺にもさっぱりわからない。
なのに俺の中の醜い俺は、自分が杉沢を救えたんだと錯覚して、いい気になっている。
団藤にはそれが見えている。
「ごめん……」
「謝るんじゃねえよ。イラつくんだよそれ」
団藤は頭を乱暴に掻くと、俺に向き直った。
「言っておくけどな、あいつに妙なことしたら俺が許さない」
「す、するわけないだろ!」
心外だったせいで、大きな声が出た。
周りの生徒が俺を振り返っている。
「……友達に、そんなこと、できるわけないだろ」
俺は声を落として付け足した。
団藤は何も言わず、学食に入った。
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