愛しの距離ナシ君(全年齢版)7
7 タイムリミット
五泊六日の間、俺は杉沢と暮らした。
その間、杉沢はほぼ寝ていた。
それまでの睡眠不足を取り返すとばかりに、平日は九時間くらい平気で眠っていた。
土日は知らない。朝、杉沢が眠ったままなのを確認してバイトに出かけたが、その間にどれほど寝ていたかは不明だからだ。本当にどれぐらい寝ていたんだろう。
最初の日に布団を占拠されて以来、俺の布団はちゃっかりと杉沢専用になっていた。
客用の方がまだ状態がいいのだが、なぜか杉沢は俺の布団を使うと言って譲らなかった。
他人の布団ですうすうと眠る杉沢の顔がまた、実に気持ちよさそうである。猫か。
初日には服用していた睡眠導入剤も、聞くところによれば、その後は飲まなくて済んでいるそうだ。
杉沢が眠れるのは薬のおかげではなかったことが、その事実ではっきりしてしまった。
そうして俺の仮説はちゃくちゃくと裏付けられていった。
――どうやら杉沢はとんでもない寂しがり屋のようである。
他人がいないと眠れないとは。さすがペンギンを自分の身代わりにするだけある。
俺の方はといえば、相変わらず杉沢の存在に慣れないでいた。
部屋に誰かがいる気配がするたびにびくついて、ああ、杉沢がいたんだっけ、と思い直している。
まあ、俺が他人に慣れるケース自体がほとんどない以上、ちゃんと一緒に暮らせているだけでも大きな進歩である。
それに杉沢が俺に及ぼす影響より、俺の杉沢に対する危険性の方がはるかに問題だった。
またこいつと変なことをする夢を見てしまわないかという心配で、頭が一杯だったのである。
杉沢本人はこんなにも安心して眠っているというのに、隣の男が妙な夢を見て悶々としていたら、たとえ杉沢であっても気の毒だ。
おかげで俺の方が寝不足になりつつあった。
そんな杉沢と過ごす日々も無事、終わりが近づいていた。
それに気づかず、杉沢は今夜もいそいそと布団に潜っていく。
俺は背中を丸め、スマートフォンの画面をくりくりと親指でスクロールしながら言った。
「あ、姉さんから連絡あったよ。予定通り明日、部屋の引き渡しだって」
杉沢は布団をかぶりかけた姿勢で固まった。
「ということは俺、追い出される?」
「自分ちに帰れるって言いなよ」
俺は杉沢とエッチなことをする夢を見る恐れのある人間である。
そんな男と一緒に暮らすよりは、杉沢は自宅に戻った方がいいはずだ。
杉沢は不服そうに枕を抱きしめた。
「やだ。俺、また眠れなくなっちゃう」
「……わかんないだろ、そんなの」
「俺のことだからわかるよ」
俺は居心地が悪くなってくる。
もし杉沢が本当に不眠症に逆戻りしてしまうなら、それは俺のせいになるのだろうか。
本当は杉沢との暮らしは快適だったし(杉沢がほとんど寝ていて静かだったせいだ)、この男と一緒に住み続けても俺にとっては問題ないだろう。
友達だったらここは泊めてやるべきなのかもしれない。
杉沢は今まで出会った誰よりいいやつだ。それは確かだ。
俺を守ろうとしてくれた分、大切にしたいとも思う。
それでも、ここで寝泊りを続けていい、という言葉は、どうしても俺の喉からは出てこなかった。
(あんな夢を見る奴が、友達面して杉沢と一緒に寝泊りするとか……無理だろ……)
こんな俺が、『友達』なんて光に満ちた称号に値するわけがない。
ならば何なのか、と聞かれたら困るが。
次の日の授業が終わった後、杉沢は俺の部屋に荷物を取りに戻った。
「お世話になりましたー」
玄関先で杉沢はおどけて頭を下げる。
「いや、世話になったの、姉さんたちの方だから……」
「そうだっけ? なんでここに泊まってたのか途中から本気で忘れてたわ」
「寝すぎ」
「かもね。じゃ」
来たときに背負っていたリュックを背負って、杉沢はゆらゆらと階段を下りていく。
杉沢がいなくなった部屋はうっすらと寒かった。
たった五日でも奴の存在感は強烈だったらしい。
その夜、深夜に杉沢からラインが来た。
なんとなく来る気はしていた。
点滅する通知の光に気づけたのは眠りが浅かったからだ。
画面を開くと光が目に染みた。
『よーくんがいないと寝られねえ』
なんと熱烈な、と思った時点で、俺も杉沢的思考にだいぶ毒されている。
返事をする前に、次のメッセージが続いた。
『あのさ俺んちでルームシェアしよ』
なんの前置きもない突然の提案に、眠気が一気に覚めた。
俺は布団から身体を起こして、画面に浮かぶ緑の吹き出しを呆然と眺めた。
『そしたら家賃浮くし休日のバイト減らせるでしょ? ウィンウィンじゃん』
断るべきだ。
そう思ったのに、俺の指は画面の上で迷ったまま、返信できないでいる。
そんなのしねえから。そう返せばいいだけ。
何を迷うことがある。
『俺このままじゃ寂し死にするかも』
天使になったペンギンのスタンプが画面に現れる。
――もし万が一、これが真剣なSOSだったらどうする。俺は杉沢を見捨てるのか? 変な夢を見たのは俺の自己責任で、杉沢のせいではないのに?
――そんな風に考えるのは、本当は俺がこいつに下心を持っているせいじゃないのか?
ふたりの俺が言い争いをしている。
『うさぎかよ』
俺は後悔するレベルのつまらない冗談で返した。
そうすれば杉沢の方も、冗談にしてくれるんじゃないかと思った。
『割と真面目に言ってるんだけどね』
冗談にはしてくれなかった。杉沢は本気だ。
どうする、俺。
――杉沢がしてくれたことを忘れたのか。
杉沢と暮らしたい方の俺が俺の中で発言する。
――本当は……。
たとえその美名に、ふさわしくないとしても。
ふさわしいかふさわしくないかではなく、俺個人の希望を言うならば。
――本当は、杉沢の友達でいたいんだろう。
杉沢と暮らしたい方の俺は、そうぽつりと呟いた。
提案に抗っていた方の俺が口をぱくぱくさせて、ついに黙った。
『いいよ』
気づけば俺の指先はそう文字を打ち込んでいた。
『ありがとう』
杉沢からの五文字が重く俺の胸に響く。
これで本当によかったんだろうか。
『よーくん優しい』
『違うから』
『あとやっぱ押しに弱い』
いつもの杉沢に戻って、俺はほっとしていた。
『いいから寝なよ』
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