愛しの距離ナシ君(全年齢版)2





2 不眠症のペンギン



学生食堂の席に座りながら、当然のように尻ポケットからスマートフォンを取り出した。
ながら食いがよくないことはわかっているが、目下プレイしているゲームはオート周回機能がないもので、ノルマがきつい。
飯を食っている間も惜しい。
ロック画面を解除すると、

「よーくんライン交換しよー」

後ろからにゅっと手が伸びてきて、俺の端末を剥奪する。
こんなことをする人間はこの大学にひとりしかいない。

「なっ、杉沢」

杉沢にはわからないかもしれないが陰キャのスマートフォンは危険物である。
旧ツイッターのタイムラインもサーチエンジンの検索履歴もセンシティブ画像で満ち溢れている。
当然、同級生には見られたくない。

「返せよ」
「はは、よーくんも怒るんだ」
「ふざけ……」
「交換してくれたら別にいいよ」

綺麗な笑顔で、背もたれの後ろから俺の顔を覗き込んでくる。
視線が画面の方に向いていないのは救いだ。

「わかった……するから」
「はい」

間髪入れず、杉沢は俺の手をとって手のひらを上に向け、ぽんと端末を乗せた。
おかえり俺のスマホ。人質にとられてさぞ怖かっただろう。俺も怖かった。
まだ心臓がどきどきしている。

「なんでそこまですんの」
「だってよーくん面白いし」

握ったままの俺の手を園児のお遊戯のように軽く振って、杉沢が答える。
俺が慌てて手を引くと杉沢はふふっと笑った。
新手のイジメなんだろうか、と思いながらともだち追加の作業を済ませる。
店のポイント関連を除くと母親と姉ぐらいしかいない、寂しい俺のともだちリスト。
そこに新たに『朔』の名前が加わる。
ふと顔を上げると、杉浦のにやついた顔が視界に入った。

「……お前俺のことおもちゃにしてねえ?」
「してるよ?」

あっさりと認めやがった。

「よーくん押せば大抵許してくれるから、どこまでなら大丈夫かなーって」
「あの本当やめて」

あと、許しているのではない。唖然としてどうしていいかわからないでいるうちに思い通りにされているだけだ。
杉沢は俺の抗議を完全かつ華麗に無視した。

「じゃ、連絡するからー」
「……既読無視していい?」
「ダメ」

杉沢はそう言い残し、自分の携帯をポケットに戻しながら、ゆらゆらと揺れるような足取りで友人たちのもとへ歩いていく。

(脚なげーな、くそ)

トレーを手にした女子たちが遠巻きから杉沢を眺め、浮き足立っているのが見える。実に面白くない。

さて、その夜の俺は、当然杉沢からのラインを覚悟していた。
ところがなんの音沙汰もなかった。
食事中も、テーブルに放置された端末は振動もせず、ピロンとも鳴らない。寝る前に布団の中で動画を漁っていてもピロンとも鳴らない。

(なんだよ、あいつ……)

枕元のコンセントでスマホを充電して、再びどさっと横になる。
別に待っていたわけでもないのだが、来なければ来ないで気になる。

生まれてこの方、俺は自分のふるまいというものに自信がない。
そのため、相手から思ったような反応がないと、自分に原因があるのではないかと悩み始めてしまう特性を持つ。
無限のイフを想定しつつ、ああすればよかった、こうすればよかったと反省会を開き続ける、そういう生き物である。
人の顔色を窺いすぎるのも俺の特色のひとつだ。
他人の反応が怖いあまりに、口ごもってはいけないシーンで口ごもる。あー、うー、としか言えなくなる。
あまつさえ挙動不審となり、結果として、周りからは変な奴、あるいはオットセイの生まれ変わりであると認定される。
そして周りから変な奴と認定されればされるほど、俺は萎縮し、さらに口ごもり、オットセイ状態となり、挙動不審さを増していく。
まさに悪循環である。
その点、杉沢は俺よりも変な奴である。変な奴からオットセイだと思われてもそれほど自尊心は傷つかない。
つまり、杉沢から絡んでくる分にはそこまで緊張しないでいられるのだ。
むしろ絡んでくると思ったタイミングで、こうやって無視されている方が気になる。
反省会まではしないが、非常に気になる。

考えているうちにいつしか眠っていたようだ。
開いたままのカーテンから朝日が差し、スポットライトさながらに俺の顔を照らしている。
さしもの俺も目が覚めた。
時間を見ようと身体を起こしてスマホをとると、通知が来ているのに気づく。
『朔』から送られた『おはよー』のスタンプ。
丸いシルエットにデフォルメされた汎用性の高いペンギンが、汎用性の高い無邪気な笑顔で手を振っている。

――――ちなみに送信時間は深夜の二時半となっている。

「おはようじゃないだろその時間」

俺は思わずつぶやいた。そのままの言葉を送って返した。
現在時刻は午前五時。
当然返信は来ないだろうと思っていた。
だが次の瞬間、俺のメッセージに既読がついた。

『ちゃんと返事してくれんじゃん』

既読がついたうえに即レスであった。

『お前起きてたのか』
『今日寝てないから 寝るのつまんない』

幼児か。
とはいえ俺も新作ゲームにとりかかるときは徹夜するから、人のことはいえないかもしれない。

『寝なよ』
『残念でしたー 俺不眠症』

どう返すべきか。お大事に、とでも言えばいいのだろうか。
いつもの冗談かもしれない。悩んでいると杉沢からの吹き出しが増えた。

『よーくんいつもこの時間に起きるの?』
『いつもは違う』
『じゃあやり直しってことで 明日も同じの送るからいつもの時間に起きて返事して』
『なんで』
『生活パターン把握しときたい』

怖い。

『怖い』
『よく言われる』

先ほどの汎用性の高いペンギンがいわゆるどや顔を決めている。
杉沢がありきたりなそのペンギンをいたく気に入っているのがわかる。
模範的な使い方はわざとだろう。

『お前なんでそんななのに友達多いんだよ』
『わかんない』
『ほかの奴ら構えばいいだろ』
『よーくんは特別』

昨日今日出会った人間にこういうことを軽々しく言う男である。
きっと女子にもこのようなことを言って女心を惑わせているに違いない。杉沢くん最低。
溜息をつきながら、冷たく平べったい機械を片手に、洗面所へ向かう。
二度寝しようにも、もう完全に目が覚めてしまっている。

『俺らほとんど話したことないだろ』
『でもなんか俺とよーくん似てる気がすんだよね』
『ど こ が』

俺は憤然と送信ボタンを押した。
杉沢と俺はどう考えても正反対だ。
杉沢は常に友人に囲まれている。俺はその反対である。
杉沢は誰とも距離感を近づけすぎる。俺は誰とも近づけない。
またからかわれていることに苛立って、俺は冷水で顔をざばっと洗う。
顔を拭き、洗面台に放置していた端末になんとなく目をやると、薄暗い中、画面に杉沢からの返事が浮かび上がっている。

『寂しいとこ?』

「あー……」

なんとなく納得してしまったのが悔しい。
あんなに人に囲まれているのに、確かに杉沢は寂しそうに見える。
距離感を詰めすぎるのも寂しいからなのだろう。
だが、同時にこう思う。

『いやお前が寂しがることなんもないだろ』

杉沢にはあれだけ友人がたくさんいるのだ。俺と違って。

『自分の方は否定しないんだ よーくんやっぱ寂しいんだね』

また例のペンギンが、今度は二匹。周りにハートが乱舞したハグのスタンプである。

『うざ絡みやめて』
『よーくんラインだと割と喋るじゃん うれしい』
『じゃあ黙る』
『ん じゃあ俺も黙る また学校でね』

(いい感じに会話終わらせてくんなよ)

アプリを終了してゲームにログインする。
見慣れた待機画面が青く光るのをぼんやりと眺める。
杉沢と話すと、疲れる。
杉沢以外の奴と話すときも疲れるが、種類が違う。
自分が隠し持っている何か非常にデリケートなものを素手で触られ、弄ばれている感覚がある。

(でも、不快ってわけでもない……か……?)

俺はふいに思った。
不快ではないのだが、何か言葉にできないもやもやが残る。




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