愛しの距離ナシ君(全年齢版)3




3 父親の来襲



午前中はオンライン授業だったので、通学は午後からだった。
他の生徒が背負うリュックサックの威圧を受けることもなく空いたエントランスを通る。
すると後ろから両肩を掴まれる。

「おはよ。よーくんも文学とってたんだ」

教養課程は他学部の生徒と一緒の教室のため、俺も杉沢がいたのには気づかなかった。
もっとも数日前まで、俺とこいつとは赤の他人だった。
気づいていない方が普通かもしれない。

「や、文学、ラクそうだったから……」

ぼそぼそと言いながら事務局の前を横切ろうとして、思わず足が止まった。

「……!」

事務局の中で、中年の男が事務局の職員と話しているのが見える。

(父さん……)

俺は逃げ出すように、教室とは別の方向へ走り出した。

「よーくん……?」

杉沢も後から追いかけてきた。
とにかく人気の少ない方へ走る。非常階段を上って二階に来たところで、俺は立ち止まって息をついた。杉沢はゆらっとした独特の足取りで、俺の前に回り込んだ。

「訳ありなんだ?」
「……や、大したあれじゃないんだけど、会いたくなくて」
「あれ、お父さんでしょ。あとで事務局の人に呼ばれるんじゃね?」
「……」

そうなったら会うしかないだろうが、できることなら避けたい。

「裏口から帰る?」
「……そこまでじゃない、と思う」
「送ってあげよっか」

杉沢は顔を覗き込んでくる。
どうせいつものようにふざけて面白がっているのだろう。
そう思いながら顔を上げると、意外にも杉沢は真面目な顔をしている。

「……あり、がと……」

狼狽えた俺は思わず言った。
杉沢が真面目な顔をしているなんて、天変地異でも起こるんじゃないかと心配になる。

「……でも、そこまでじゃないから」
「そう?」
「母さんも再婚したし、もう俺とは関係ないんだよ、あの人」

正確にいえば、父と無関係な顔をしていられるのは俺と母だけだ。姉はまだ現在も父と暮らしている。
父は自分の思い通りにならないと癇癪を起こすタイプの人間だった。俺や母に手をあげることも多かった。
母も性格がはっきりしていて、父の言いなりにはならなかったから、夫婦喧嘩が絶えなかった。
姉と俺は幼いころから、両親の機嫌ばかり伺っていた。
離婚でもめたのは俺が中学生のときだった。

「あー、大変だったっぽいね……」

ぼそぼそとしたまとまりのない俺の話を聞きながら、杉沢は頭を掻いた。

「別に、よくある話だから。姉さんの方は大学受験と重なっちゃって、苦労してたけど……お金のこともあるし」
「でもさー」

杉沢はふっと俯いて言った。

「自分より大変な人が身内にいると、泣き言いえなくなるでしょ」

俺は息を飲んだ。見透かされている。

「杉、沢……」
「ところでさー」

突然、杉沢はいつもの杉沢に戻った。まるで魔法が解けたようだ。

「話してたら授業遅れたねー」

わが校にはチャイムがない。慌ててスマホを見ると、もう授業が始まっている時間だ。
杉沢はニッと笑った。

「ねえ。このまんまサボろっか」

俺は目を覆った。やられた。

「お前、わかってただろ……」
「よーくん真面目すぎ。一回ぐらいいいでしょ」

真面目なのではなく頼れる友達がいないのである。

「……杉沢、優等生キャラやめたの」
「うん」

俺の問いに杉沢は即答した。

「ね、行こ」

軽く俺の手を引いて、杉沢は人気のない廊下を裏口方面へ向かって歩きだす。
いつも通り強引だが、なんとなく俺はその手を振り払う気になれなかった。

(文学の先生ごめん……あとで連絡します、メールで……)

柔らかな午後の光が窓から差し込み、杉沢の背中に当たっている。
繋いだ手は乾いていて、少しだけ俺より体温が高かった。

「ふふ、デートみたい」
「っ……」

校舎の裏門を出ると杉沢が笑う。
ついでに掴んだ俺の手に指を絡めて、恋人繋ぎしてくる。
かなりがっちりと握りこまれているため振りほどけない。
裏道とはいえ学生街の真ん中で、人目が皆無というわけではない。
通りがかりの女性が俺たちの手元を見て、慌てて目を逸らすのがみえる。
助けて。

「……離せって」
「ねー、せっかくだしゲーセン行こ?」

俺の言葉がまるで聞こえていない。帰り道の子どもがするように、繋いだ手をぶんぶんと揺らされる。

「……俺あんまりそういうとこ行かないから、その」

逃げ口上は途中で遮られた。

「そうなの?じゃあいい機会じゃん」
「……」
「決まりだねー」

俺は閉口していただけなのだが、沈黙を無理やり肯定にとりやがった。
杉沢は気をよくしたらしく、とりあえず手は放してくれた。
杉沢の後について、曲がりくねった坂道を下る。
ツタの絡まるしゃれた店が並んだ、静かで雰囲気のいい小道を抜けると、夢から覚めたように雑然とした街並みに出る。
平日の午後ということもあって、駅前のゲームセンターは空いていた。
家庭環境のせいもあり、また一緒に出歩く友達がいなかったせいもあって、こういう場所はほとんど来たことがない。姉と一回来たのだったか。
きょろきょろと見回していると、

「これこれ」

杉沢は右に直角に曲がり、クレーンゲーム機に直行する。
なんだろうと思って肩越しに覗く。

「これ……」

青いマスコットの山をよく見てみると、杉沢が愛用するラインスタンプのペンギンであった。
汎用性の高い例の笑顔がコピーアンドペースト、通称コピペのように量産され、うず高く積み上げられている。

「行きます」

杉沢は神妙な顔をして機械を操作しはじめる。
機械に手をついて身体を前傾させるその体勢は非常に遊び慣れていそうである。
商品タグにアームを引っ掛け、いざ上に持ち上げる。
と、ペンギンは三センチほど宙に浮いただけで無情にも落下する。

「あ゛ー」

杉沢は呻いて空のアームを見送る。
硬貨を詰め込んで再挑戦。
今度はペンギンはぴくりと揺れただけで、持ち上がりもしなかった。
再び呻いた杉沢は両替機に向かい、千円札を崩して戻ってくる。

「……そんなにこのペンギン好きなの」

再び硬貨を入れはじめた杉沢に、俺は思わず聞いていた。

「んー、そんな好きじゃない」

好きじゃないのかよ。

「じゃあなんで……」
「ごめん、今集中してんの」

今度はうまくタグがアームに引っかかった。
しかし取り出し口まで移動させようと動かしたとたん、アームからタグのテグスが滑り落ちてしまう。

「あー惜しい」

杉沢は悔しがるが、穴から遠すぎて惜しくもなんともない。
そんなトライアンドエラーが数回続くのを眺め、俺はひとつの結論に至った。
杉沢はクレーンゲームが下手くそである。

「下手だって思ったでしょ」

杉沢は俺の方を見ずにさらっと言った。図星。

「えっと、あの、いや……」
「いっつもこういうとき、しゅんがとってくれるからさー」
「しゅん……?」

人の顔と名前を覚えるのは不得意だ。俺は首をかしげた。

「いつも一緒にいるじゃん、ほら、背が高くて常識人っぽいやつ」

ああ、とようやく思い出す。
団藤 駿(だんどう しゅん)といったか。
先日、俺が『友人Dぐらいのやつ』と名付けた男だ。
騒がしい一団の中でも比較的真面目そうで、目立ち方は上から四番目ぐらい。
困った顔が似合う。

「仲いいのか?」
「うん。高校から一緒だから」

いいコンビだな、と俺はぼんやりと思う。
常識人である団藤が非常識人である杉沢の横にいれば、サポート体制は万全だ。

「ねえ、よーくん代わって」

杉沢は唐突に言った。

「いや俺も似たようなものだし」
「でもゲームとか好きでしょ」
「全然違うだろ……」
「いいから」

ぐい、と身体を押された。
参ったなと思いながら遠い記憶を掘り返し、操作する。
アームを下ろし、ざくりと崩すようにしてタグを引っ掛ける――――

「おっ」
「おー」

持ち上がった。
マスコットはかろうじてアームに引っかかったまま取り出し口に向かう。
青く丸い物体がぽとりと所定の穴に落ちていくと、俺はほっと溜息をついた。

「やるねー」
「いや、まぐれ……」

杉沢は受け取り口からブツを取り出す。と、

「はい、プレゼント」

俺の胸に押し付けた。

「はい?」
「だから、あげる」
「なんで……」

気が変わって不要になったんだろうか。
杉沢はふふんと笑って手を離した。
マスコットは俺の平らな胸を滑り落ちていく。

「うぉっ」

慌てて腹のあたりでキャッチする。
力が強すぎたか、汎用性の高いペンギンの笑顔がぐちゃっと手の中でひしゃげた。なんかごめん。
ペンギンに気を取られていると、不意に杉沢の手が俺の頭の上に着地した。
俺はびくっと身を引いた。
相変わらず距離感がおかしい。

「これ見たらー、俺のこと絶対思い出すでしょ。だから」
「……」

確かに思い出すとは思うが、だからといってなぜ思い出さなくてはならないのか。

「あ、返品は受け付けてないんで。大事にして?」

強引に押し付けられたペンギンがだんだん杉沢に見えてきた。






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