愛しの距離ナシ君(全年齢版)15




15 手負いのペンギン 




警察と大学に事情を話したあと、いそいで杉沢のもとへ向かう。
しばらく廊下で待っていると、応急手当を受けた杉沢が保健室から出てきた。

「……ほんとにごめん、父さんのせいで」

杉沢はひらひらと手を振った。

「平気平気。それより、110番したから大騒ぎになっちゃって……そうなる前にお父さんのこと止めるつもりだったんだけど、失敗しちゃった。ごめんね」

父は逃げ出したまま行方がわからない。

「杉沢が謝ることなんか何もないだろ!そんな顔になって……」

父のことはもうどうだってよかった。俺の大切なものを傷つけたのだから当然だ。
救えるわけがないし、救わなければならないとも、もう思えない。
処置の終わった杉沢は大きなガーゼを顎に当てて、ひどく痛々しかった。唇も切れている。

(俺のせいだ)

俺のせいで杉沢が傷ついた。
杉沢は目だけで笑っている。

「男前になったって言ってよ。約束通り、よーくんのこと、守れたんだから」

俺は泣きそうになる。

「俺のことなんか、よかったんだよ……」

俺の顔がぐちゃぐちゃになればよかった。
俺が守りたかった綺麗なものが、父さんのせいで。

「よくないよ。親友だもん」

この信頼に俺はどう応えればいいんだろう。
何もできず、ただ守られていただけの自分が、情けなくてたまらない。
しばらくは黙って歩いた。
門を出たところで、俺は切り出した。

「……もう俺と一緒に住むの、やめた方がいいよ」
「なんで」
「杉沢にこれ以上迷惑かけられないだろ……父さんが報復にでも来たらどうするんだよ」

守りたい。だが俺に杉沢を守る能力はない。
杉沢は首をかしげた。

「報復なら一緒に住んでようがなかろうが一緒じゃね? 本気なら、俺がどこにいたって探し出すだろうし。 乗りかかった舟ってやつ」
「でも」

杉沢は寂しそうな笑顔になって、自分の怪我を撫でた。

「それにね、よーくんのためじゃなくて、自分のために殴られたんだと思うよ、俺は」

言っている意味がわからなかった。

「なんでだよ!そんな怪我負って、お前のためなわけ……」
「よーくんのお父さんに殴られたときさー、これがあれば、よーくん、俺から逃げらんなくなるんじゃないかって、一瞬思ったんだ」

俺は息を飲んだ。

「よーくんのヒーローになったら、よーくんに絶対捨てられないって、都合のいいこと思ったわけ。ま、逆効果だったっぽいけど」
「杉沢……? 」

杉沢は眉尻を下げた。

「今の俺、すげえ必死だしずるいわ。恩売りまくってる」

俺はようやく納得した。

「そっか……不眠症がかかってるから、か……」

が、

「そんなのどうだっていいよ」

杉沢は即座に言い切った。俺は困惑した。

「どうだっていいって……そのために一緒に住んでるのに……?」
「そんなの口実だよ? 」

俺はやっぱり杉沢がわからないままだ。

「で、どうする?一緒に住むの、やめる?」

目を覗き込まれて、俺は嘘がつけなくなった。

「……俺だって、ほんとはずっと杉沢のそばにいたい」

本心を言うと、杉沢は軽く目を見開いた。

「俺を親友って言ってくれたの、お前だけなんだ」

(団藤に俺の居場所をとられたくない)

同時に俺の中の醜い俺は、もうひとつの本心を叫んでいる。

「……なら、いいじゃん」
「よくねえよ……俺のせいでお前が酷い目に合うのは耐えられない……」

杉沢と暮らすという特権を手放したくない。
そんな俺の醜さのせいで、杉沢本人に危害が及ぶのは間違っている。

「だからよーくんのせいじゃないんだって。俺のせいなんだって。よーくんを独り占めするために払った、対価みたいなもん」
「なんでそこまで」

不眠症も関係ないのに?

「知りたい?」

杉沢の髪を風が撫でていく。
俺はこわごわと頷いた。
杉沢は俺をじっと見つめて、それからいたずらっぽく目を細めた。

「なら、今まで通り、一緒に暮らそう? そしたらいつか教えてあげる……いつか、ね」

すぐに教えてもらえるんだと思っていた俺は拍子抜けした。

「なんだよそれ……」
「言ったじゃん。俺必死だって」

俺はやけくそになった。

「……知らないよ、ほんとに」

理由はよくわからないが、危険だとわかっていても、杉沢は俺と暮らしたがっている。
ならば俺にそれを止める資格はない。
いざとなったら俺が守る。
できるかできないかではなく、やるんだ。

「よーくんてさ。ほんと、押しに弱いよね」

決意に燃える俺の隣で、杉沢はいつもの杉沢に戻った。
黙ったまま、俺は手を挙げてタクシーを捕まえた。



総合病院の待合スペースで杉沢の帰りを待つ。平日の昼休み明けだが、結構な患者の数だ。

(杉沢、大丈夫かな……)

診察室の方を見ようとスマホから顔を上げたとき、エレベーターが開いた。いいスーツを着た男性が待合スペースに入ってくる。
その人の顔を、どこかで見たことがある気がした。

(もしかして……)

ちょうど杉沢が診察室から出てきたところだ。

「朔!」

中年の男性が杉沢に駆け寄った。

「お父さん」

俺はあわてて立ち上がった。
こうして並べてみると、そっくりとまではいかないが、杉沢に雰囲気が似ている。
綺麗に髪を撫でつけていて、俺は思わず几帳面に整えられた杉沢の洋室を思い出した。

「大丈夫か。連絡をもらって、会社からあわてて飛んできたんだ」
「ちょっと縫った。一応検査してもらって、結果は数日後だって。顎まわり以外は元気だし、大したことないと思うけどね。……父さん、こちらが志摩陽介くん」

杉沢はなぜか気まずそうだ。

「父のせいで杉沢君が怪我を……申し訳、ありません……」

俺は俯いて、小声で言った。

「顔を上げて。君の家庭のことは朔から聞いています。君のせいではないことはわかっていますし、今回のことで追い出すつもりも全然ないから、そこは安心して」

積年の心労が滲んだ、優しい声だった。

「ただ、現状だと被害届は出さざるをえないと思います。心苦しいですが。陽介君のお父さんが出てきて話し合いに応じてくれれば、示談も考えてはいます」
「申し訳ありません……」
「よーくんのせいじゃないでしょ。よーくんは被害者側なんだし」
「ええ。それに、陽介君には感謝してるんですよ。息子の不眠には、長年頭を悩ませていましたから」

不謹慎にも、いつか想像したキメラのメシアが高速で俺の頭をよぎった。

「一緒に住むとき、息子が無理を言ったそうで」
「えっ、いや、そんなことは……」

俺はしどろもどろになる。

「こちら、こそ、杉沢君には、日頃からお世話に……」
「息子のこと、どう思う?」
「えっ……すごくいい友達、です」
「そう。これからも息子と仲良くしてくださいね」

杉沢のお父さんはなぜか残念そうな顔をしてから、杉沢に向かって意味ありげにほほ笑んだ。
杉沢は視線を合わせないようにしている。
なんだろう。

「ああ、そうそう。陽介君のお姉さんだったかな? お父さんのことで就職で困っているというのは」

杉沢のお父さんはふたたび俺の方を見て、急に思いついたように背広のポケットに手をやる。

「へっ」
「よかったら相談に来てください。子会社なら少し顔が利くから。これが名刺。お姉さんに渡してください」

俺は呆然と名刺を受け取った。
杉沢恭という名前の横に、光り輝くような大企業の名前と、事業部長という役職が刷ってある。

「えっ、そ、そ、そんなこと……父が杉沢君にこんなことしたばっかり、なのに……」

申し訳なさ過ぎて俺はあわてた。
杉沢のお父さんは柔らかく笑った。少しすごみがある、と俺は思った。

「こちらが事件にしてしまう分、そのあたりのフォローは必要でしょう? 遠慮しないで」
「受け取ってもらえないと俺がかっこ悪いから」

杉沢が横から言った。

「あ、ありがとう、ございます……ほんとに……どうやって……御恩……どうすれ、ば……」

バグを起こしたように言いながら、俺は頭を下げた。
手にした名刺の重さが、何十キロもあるような錯覚をする。
してもらったことが多すぎて、ますます返せるものがなくなっていく。
わかっているよ、という風に、杉沢のお父さんは俺の肩をぽんぽんと優しく叩いた。

「送るか、朔」
「大丈夫。よーくんと一緒だし」
「何か必要なことは? 」
「ないない。心配かけてごめんねー」
「いや。身体を張って大事な人を守ろうとしたんだろう? お父さんは誇らしいよ」

杉沢のお父さんはおそろしく真剣な顔をしている。

「やめてよ、恥ずかしい」

杉沢は苦笑した。

「じゃあお父さんは会社に戻るな。陽介君、朔をよろしくお願いしますね」
「はい……」

ほんのりと整髪料のいいにおいをさせながら、杉沢のお父さんは行ってしまった。

「俺たちも帰ろ」
「うん……」

名刺を財布にしまって、俺は頷いた。

「いいお父さんだね」

帰りのタクシーで、俺はぼそっと呟いた。
うらやんでいるつもりはなかった。杉沢だって違う種類の苦労をしてきたのだし、簡単に比べてはいけないことはわかっている。

「お節介だけどねー」
「そういえば、杉沢のお父さん、杉沢に目配せしてたじゃん。あれ何……?」
「ん? えっとね、内緒」

杉沢はごまかしたあと、独り言のようにぼやいた。

「……だからあんまり会わせたくなかったんだよねぇ」
「えっ」
「なんでもない」

杉沢は窓の外を見ながら呟いた。


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