愛しの距離ナシ君(全年齢版)21(終)




21 エピローグ



次の日の午後、団藤は宣言通り、俺を鍛えに来た。

「朔、こいつ怠けてなかったか」
「んー?怠けてた怠けてた」

杉沢がそう答えるので俺は慌てた。
たしかに昨日の晩はトレーニングをしていないが、それはそれどころではなかったせいだ。怠けていたわけではない。
だが怠慢のなかったことを説明するにはまず、『それどころではない』の中身を報告せねばならず、それには団藤に真実を告白せねばならない。

「だ、団藤、俺、お前に言わなくちゃいけないことが……」

緊張で声がカスカスに枯れる。
団藤はこともなげに遮った。

「付き合ってるってやつだろ? 朔から聞いてる。こいつすげえ自慢して来るんだぜ」

団藤に嫌われるかと思っていた俺は拍子抜けした。

「てか、朔が言ってる『好きな人』が志摩のことだって最初からわかってたし、今更なんだよ」

そうだったのか。

「朔、まったく隠す気なかったしな。病院でお母さんに会っとくかって聞いたときも、志摩に見せる覚悟がねえ、ちゃんと同じ気持ちだってわかったら連れてくるけど、みたいなこと言ってた」
「それだけどさ。今度の週末、よーくん連れて行ってくることになったから」
「……そうか」

空気を変えるように、団藤は杉沢と俺の背中を同時に叩いた。優しい手だった。

「収まるとこに収まったんだろ、心配すんな。今更お前らの邪魔するようなことはしねえよ」
「駿には田中君がいるもんねえ」
「お前はもう少しデリカシー持て」

ふたりは屈託なく小突きあっている。
友達というものはいいもんだな、と思いながら、俺はふたりを眺めている。


その週末、俺はバイトを休んで、杉沢のお母さんに会いに行った。

「お母さん、よーくん連れてきたよ」

管で生命維持装置に繋がれた人物を、俺は杉沢と見下ろす。
この病気の人を目にしたのは初めてで、俺は少しショックを受けている。

「何回か話したでしょ。俺が好きな子。ちゃんと俺のになったら連れてこようと思ってたんだ」

何も聞こえてはいない耳に、杉沢は普通に語りかけている。

「えっと、はじめまして……息子さんとお付き合いさせていただいてます……」

宙を見つめたまま反応のない顔に向かって、俺はもごもごとつぶやいた。

「よーくんねえ、すごくいい子。だから安心して」

杉沢が優しく言うと、偶然かそうではないのか、杉沢のお母さんは瞬きした。そうすると杉沢に目が似ている。
杉沢は苦笑した。

「わかってんのか、わかってないのか、ね。……行こっか、よーくん」


「二年ぐらいあんな感じ。いつかは転院しなくちゃいけないのを、お父さんがなんとか頼んで入院させてもらってんの。お金はめちゃくちゃかかるし、いつまでこうしてられるかわかんねえけど。お母さんの実家もわりと金持ちだからなんとかなってる」

病院を出ながら、杉沢はいつもと変わらない淡々とした調子で言った。

「大変なんだね……」

気の利いたことが言えるはずもなく、俺は俯いた。

「あんなことしなきゃよかったのにね」

杉沢はさらっと言った。

「お母さんが睡眠薬飲んで失敗して、ああなったときさ。俺、いらない子だったんだって思った。俺のことに全然関心持ってくれない人だったし……ま、今になって何言ったって、しょうがないけどねー」

真っ黒な色をした、杉沢の寂しさの根幹を覗き見ていた。
これが俺が知りたかったものの正体だった。
杉沢の気持ちも考えないで、軽々しく知りたいと願ったものの正体。

「でも、今のお母さん、すっげえ頑張って生きてる感じはするんだよね。俺が子どものときよりずっと、ちゃんと生きようとしてるっていうか。もう自分じゃ何もできないけどね、あの人」

杉沢は眉を下げた。

「もしかしたら、だけど……」
「んん?」

俺が口を開くと、杉沢は微笑んで俺の顔を見る。

「杉沢のお母さん、今はお前のことが心配なのかも……だってお前の声に反応してるみたいだった」

杉沢は少し驚いた顔をして、それからへらっと笑った。

「俺が心配だから現世に片足だけ残してんの? ふふ、いいね。そういうことにしとこっか」

たくさんの車が流れていく。信号を待ちながら、杉沢は俺の手を握った。

「人前だよ」
「いいじゃん別に。俺よーくんの彼氏だもん」

付き合う前と変わらない言い方で杉沢は言った。
それはそうだが、俺は人目を引くのが苦手なのである。

(お母さんに会って、急に人肌が恋しくなったとか、かな)

なら、仕方がない。俺は諦めた。
こんなひ弱な手のひらが何かの役に立つというのなら、恥を忍んで貸してやろう。
まだ杉沢には返さなくてはいけないものが山ほどある。
それに、距離感のおかしい男に恋をした俺が悪いのだ。

「どうする? うち寄ってく? 」
「えっ……や、急に行ったら迷惑だろ」
「喜ぶと思うよー。よーくんと付き合うって聞いたらお父さん、すげえ喜んでたもん」
「それは……なんていうか、開けた考えのお父さんだね……」
「今どき普通じゃね?」

俺の家は父があんな感じだったから、普通がわからない。俺は曖昧に笑った。

「俺に負い目みたいなの感じてんだよ、あの人。だから俺が眠れるようになって随分ほっとしてたみたい。なるべくずっとそばにいてもらいなさいって」
「責任重大じゃん……」
「もちろんだよ? 言ったじゃん、もう離してあげないって」

上等だ、と思ったところで、信号が青になる。

「いこ」

杉沢はいつかのように俺の手を強引に引いて、歩き出した。


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